芦川直子

coffee caraway店主。朝にコーヒーを焼き午後はカフェを開く。夜は酒場で杯を…

芦川直子

coffee caraway店主。朝にコーヒーを焼き午後はカフェを開く。夜は酒場で杯を重ねる。 書くことは自分を知ること、そして世界と繋がり直すこと。「考え過ぎ&気にし過ぎ」は私の真骨頂。

最近の記事

鉄は熱いうちに打て

暑い時に、熱い話。 私の仕事はコーヒーを焼くこと。コーヒーは、原料の豆を200度程度に加熱することであの香ばしさや風味が引き出される。加熱の仕方で大きく味も変わる、そこが腕の見せ所だ。しかし豆を焼く間はバーナーで加熱し続けるので、豆だけじゃなくて機械も、そしてそばにいる人間も熱々になっていく。夏はなかなかに大変な作業。 熱しやすく冷めやすい、なんてあまり誉め言葉にはならない気がする。 自分では割とクールというか、淡々とした人間のつもりなのだけど、先日ひとづてに私について『ま

    • それで本気なの?

      嘆いても仕方のないことを嘆きたくなる時がある。例えば、「もっと頭が良ければよかったのに」。あぁ、言ってしまった! もっと頭の回転が速ければ。もっと上手にやれたなら。言ってもどうにもならないし、自分の精一杯でやっていくしかないと重々分かっているけれど。 高校の時、体力テストの持久走で必死に走っていたら、バレー部の友人に『それで本気なの?』と責められたことがある。本気だよと反論したけれど、自分が限界まで力を出しているか確信はなかった。いや、本気のつもりだったけど。 本気で出来な

      • 愛され検定

        全ての人間には愛される資格がある。それは大前提として「どうも私は愛されない」と感じる人も多いのではないか。ちなみに私はその1人だ。 愛されキャラなんて言われて誰からも好かれる人気者もいる。いじられてるようで本人はどこか幸せそうだ。しかし私はいじられるのが苦手、変に構われる位なら放っておいて欲しい。そんな時思う、「だから私は愛されないのか?」 思うに私だってまるで愛されないわけでもない。優しい言葉をかけられたり、気にかけてくれる人もいる。思うに私がうまく受け取れていない、なん

        • 恋は執着

          時に人は何か夢中になるものと出会う。味気ない灰色の日々を極彩色に輝かせる何か、それが人間であってもなくても、趣味でも嗜好品でも、とにかくそれは確実に喜びを得られる幸せの象徴となる。 近年推しやオタクが社会的にも容認されるようになったのは、多くの人にとってそれが娯楽以上の意味を持ち始めたからかもしれない。 それを心に浮かべるだけで嬉しくなる。もっと欲しい、もっと触れたい。その想いはもう、恋だ。しかしそれが手に入らないとき、あるいは過剰に摂取すると、正気を保てず生活が破綻する、

        鉄は熱いうちに打て

          否定の肯定

          先日高校時代の友人宅で食事会があった。その際同席したある友人とは久々の再会で、これまで年賀状程度のやり取りはあったが直接顔を合わせるのは数十年振り。徐々に思い出が蘇り、楽しい時間となった。 後日、昔彼女としたある会話を思い出した。学校の帰り道、電車の中でどういう流れだったか「互いに本当に分かり合うっていうのは不可能だよね」と話した。それまで楽しく言葉を交わし、むしろ前より気心が知れたように感じながらふとそれに同意し合った時、わたしはなぜか『滑り落ちる!』と心の中で叫んだ。揺れ

          否定の肯定

          距離こそすべて

          誰かと最初に出会う時、私は猫のようでありたい。まずは必要な距離を保ち、相手を十分に認識してから近付く。個人的にもそうだし、接客の場面でも少々堅苦しく対応するのは一定の距離を保つためだ。歓迎の意思を示すのも、無理して引きつった笑顔を見せるよりはと微笑んで迎えることを選んでいる。 恐らく、感じがいいと言われる人は相手に応じて態度を変えている。最初からハイテンションにやぁやぁと近付く人、出だしは遠慮しているけど次第に親しげになる人。同様のやり方で応ずれば、相手は自分と気が合うと感じ

          距離こそすべて

          それもまた導き

          先日コーヒー屋としての師について書いた。 勿論これまでお2人以外にもお世話になった方は数知れない。ただ今後も決してその名を挙げないだろう方々もいる。それは当時私が期待に応えられず、また逆に見捨てられたとか傷付けられたと感じ、手放した関係だったりする。しかし振り返れば、その出会いが今に繋がっているとも感じる。例えばあるひと言、『あなたには無理よ』という声が、躓きそうな私を何度も奮い立たせてくれたとか。 会社勤めの頃、ある女性の上司が何かにつけて私を否定して、取引先の新人達の

          それもまた導き

          父をたずねて

          最近父性という言葉を耳にして、改めて考えた。母性はかつては母性本能などと言われ、子を守り育てる性質とされていた。ならば父性とは何だろうか。父性を持つ父親とはどんな存在だろう。 そこで数年前に亡くなった実父のことを書こうと思ったが、思い出すエピソードはどれも母の声で再生された。年の離れた、高度経済成長期を生きた父は不在がちで伝聞の存在だった。記憶の中の姿は朧げで、電話越しのような声が微かに蘇るばかり。紳士風で四角四面の、時に子供のようなつかみどころのない印象。 子供の頃に大

          父をたずねて

          勝手に弟子入り

          『お店を始める前、どこで修行されたんですか?』と聞かれることがある。そんな時、わたしの師匠は誰なんだろう?と考える。コーヒーの淹れ方や、焙煎機の使い方を教わったことはある。コーヒー店でも何年か働いた。しかし師匠と言って思い浮かぶ人はその中には居ない。 カフェ好きが高じてコーヒーに興味を持った私を、より深いコーヒーの世界に引き込んでくれたMさん。コーヒー界の名店やその歴史、勉強会の紹介、読むべき書籍。当時コーヒーに関する情報は限られていて、その導きが無ければ私は表面的な知識に

          勝手に弟子入り

          男、でもない

          以前の投稿で自分が女だということについて考えてみたのだが、考えるほど女であるとはどういう事か分からなくなった。そこで試しに自分は男か?について考えてみる。それで分かる事があるかもしれない。 とにかく私は男性の少ない環境で育った。男兄弟も無く女子校育ちで地元の友人も女の子ばかり。女性の中で育って私はいつも違和感を感じていた。女らしさって、自分には合わない。本当は男の子の方が気が合うのかも。 高校を卒業してバイト先やサークルで、日常的に男性と接するようになったが時々相手が戸惑

          男、でもない

          まだ、アヒルの子。

          アンデルセン童話の「みにくいアヒルの子」は、最後自分が白鳥だと知って終わる。もし私もアヒルの子なのだとしたら、本当は何者なのだろう? 昔からみんなが好きなものに興味がなかった。アニメ、スポーツ、アイドル、TVドラマ。どれもテレビが媒体で、親中心の家庭で私は自由に触れる機会がなかった。代わりに古典的な文学、美術、音楽を与えられたがどれにもさほどハマらなかった。中学ぐらいからは音楽でも本でも周りに薦められるままに聴いて読んだ。やがてある詩人と劇団のファンになり、真似して詩や脚本

          まだ、アヒルの子。

          女、であること

          今の時代、女や男について語ることは非常に難しい。だが、あえて触れてみる。 私は女である。そう思っている。だけど四六時中思っているわけではなく、むしろ性別を意識することは日頃殆どない。 女性には女性的女性と男性的女性、中性的女性がいると思う。恋愛対象での区別ではなく、話し方や服装、振舞いの違いだ。自分は中性的か、やや男性的だと思う。服装は女性的だが話し方は中性的。関心はファッションやスイーツより、本を読むとか何かを論じる方に向いている。 時は90年代後半。新卒で就職した会社

          女、であること

          私はコーヒー屋じゃない

          いきなり現実を否定しているようだが、私=コーヒー屋か?と考えてみると、それは違うと言いたくなる。 職業がそのまま自分ではないのも大前提だが、そもそも私は何かを作る人、つまり作家でもあると考えている。コーヒーは食品だが作品でもあり、店そのものも私にとっては作品だ。 作ることを仕事にしてみて、そういえば子供の頃から作るのが好きだったと思い出す。さほど手先は器用じゃないが、何かを作り没頭するのが楽しかった。手芸、工作、絵を描いたり文を書いたり。その静かな熱中ぶりだけは際立っていた

          私はコーヒー屋じゃない

          ちょっと、長すぎる。

          私が困っている自分のクセ。それは人の話を聞きすぎること。 いや、困りつつ楽しんでもいるのだけど、その時間が長過ぎる。 仕事柄、来店されたお客様とちょっとした雑談をする。天気の話、近所の新しい店のこと。会計の合間やコーヒーをお出しした後の何往復かで終わるような軽いものが殆どだが、ある時バチっと何かのスイッチが入る。お客様からのインタビューのような質問や、聞き流せない問題定義、あるいは個人的なお悩みの吐露をきっかけに。 1時間、2時間と会話が続き、先日はついに4時間を超えた。どん

          ちょっと、長すぎる。

          誰がために鐘は鳴る

          この話は、曖昧な記憶から始めてみる。 私は海辺に立っていた、私は10代の半ば頃。時は夕暮れ、サーモンピンクの空にたなびく雲と足元の濡れた灰色の砂。 その時なんとも言えぬ感情が湧き上がり、それがどこから来て何を意味するかまるで分からなかったけれど、激しい情動と共に浮かんだ思いはこのようなものだった。 「この景色を、いつか私の本当に愛する人と共に見たい、私は生きて必ずその人を見つけるのだ」 この世界は美しい、そう実感を持ったのは高校1年の時だ。海外でのひと月ほどの留学中、それま

          誰がために鐘は鳴る