愛され検定

全ての人間には愛される資格がある。それは大前提として「どうも私は愛されない」と感じる人も多いのではないか。ちなみに私はその1人だ。
愛されキャラなんて言われて誰からも好かれる人気者もいる。いじられてるようで本人はどこか幸せそうだ。しかし私はいじられるのが苦手、変に構われる位なら放っておいて欲しい。そんな時思う、「だから私は愛されないのか?」

思うに私だってまるで愛されないわけでもない。優しい言葉をかけられたり、気にかけてくれる人もいる。思うに私がうまく受け取れていない、なんならお断りすらしてたりする。愛への不信。何がしかの好意を向けられた時、思わず私はこう聞きたくなる。「どのようなご用件で?」とにかく私は警戒心が強い。何を求めているのかと身構えてしまう。門前払いして離れていく人を見て再び思う。「どうして愛されないんだろう?」

人は成長の過程で愛され方を本能的に身に付ける。そのコツを学校などで教わることはない。だけどもし愛される技術が資格になったら? 試みに「愛され技能検定」を考えてみる。
初級、子供の愛され方がモデル。可愛い容姿や拙い動き、純粋さ。ちょっとぼんやりしてる位が良しとされる。中級、好青年や優等生。いつも笑顔で爽やかに。時々はにかんだりする控えめ具合。上級、成熟した大人。穏やかな頼もしさ。つい甘えたくなる感じ。
今更初級を目指すには遅すぎる、上級にはまだ手が届かない。中級あたりを狙うのが妥当だろうか。準上級とかあるといいけど。だがしかし。そんな技術で得られたとして私は嬉しいのだろうか。愛されるってもっと温かい感じ、降り注ぐ陽光みたいなものなんじゃないか。

そんな私も自ら愛を示すことはある。だから受け取られない痛みもよく知っている。ならばまずは広く愛されるより、受け取る技術を習得すべきだ。しかもそれは技術ですらない。ただありがとうと言って受け取るだけ。それだけで「愛されない」と嘆く人間を2人減らせる。受け取った私と、受け取られた誰かと。検定には受からなくても愛は手に入ると信じよう。何かを貰ったらありがとうと言う、それくらいは私も習っているのだから。

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