父をたずねて

最近父性という言葉を耳にして、改めて考えた。母性はかつては母性本能などと言われ、子を守り育てる性質とされていた。ならば父性とは何だろうか。父性を持つ父親とはどんな存在だろう。

そこで数年前に亡くなった実父のことを書こうと思ったが、思い出すエピソードはどれも母の声で再生された。年の離れた、高度経済成長期を生きた父は不在がちで伝聞の存在だった。記憶の中の姿は朧げで、電話越しのような声が微かに蘇るばかり。紳士風で四角四面の、時に子供のようなつかみどころのない印象。

子供の頃に大人の男性と接したのは学校の先生くらい。校風もあるのか言葉遣いが丁寧で優しい先生が多かったが、彼らに父性を見出すことは無かった。大学の教授や職場の上司など目上の男性には、敬意や親しみを感じても信頼して関わることが難しかった。接し方が分からない自分の不器用さが気になって、相手に当惑されたかもと感じては遠ざかった。

それでも読む本も見る芝居も、男性の作家に惹かれた。大人になると酒場や珈琲など男性文化に憧れた。仕事で出張してビジネスホテルに泊まり取引先を回った時は、どこか誇らしかった。男性に交じって生きることは社会参加であり、女性としてではなく人間として社会的に認められたいという願望もあった。しかしそれは叶うことなく、ひとり珈琲屋として我が道を行くこととなった。それでも店主として自分主体で働くことは自尊心を養ってくれた。男性に頼らず生きられる自分になりたかった。

父の話に戻る。長年勤めた会社を退職後、父は資格を取って独立したが、商売経験の無さか挑戦は失敗に終わった。ある時、曲がりなりにも小商いを続ける私に『すごいね』という言葉をかけてくれたが、その真意は分からない。私が会社員を辞めた事に憤慨していたのも知っているから。

父なりに、父としての在り方に悩んでいたのだろうと今では思う。彼自身、父親との関係に苦しんでいた。父に、社会に、認められたかったのは彼も同じだ。恐らく彼も、父とは何かが分からなかった。それはこれから私が探す。遠く近くに、あるいは過去に。きっとどこかに居るはずの、父をたずねて。


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