女、であること

今の時代、女や男について語ることは非常に難しい。だが、あえて触れてみる。

私は女である。そう思っている。だけど四六時中思っているわけではなく、むしろ性別を意識することは日頃殆どない。
女性には女性的女性と男性的女性、中性的女性がいると思う。恋愛対象での区別ではなく、話し方や服装、振舞いの違いだ。自分は中性的か、やや男性的だと思う。服装は女性的だが話し方は中性的。関心はファッションやスイーツより、本を読むとか何かを論じる方に向いている。

時は90年代後半。新卒で就職した会社で私は女性営業の一期生だった。先輩は男性ばかりで女性は事務職。そんな中に真新しいパンツスーツで現れた私たち新人は、男性からも女性からも違和感をもって迎えられた。取引先でも好奇の目で見られ、自分が女だと意識させられた。それでも自分たちが頑張らねばこの雰囲気は変わらないと、時に男勝りに時に女性らしく振舞った。やりにくそうな男性達に敵ではないと思わせるため丁重に接し、仲間だと感じられるようノリを合わせた。しかし自分らしいあり方は見出せず、数年で私はその会社を去った。
そしてカフェの学校に通った後、私はコーヒー店で働くことにした。しかし接客やケーキ作りは任されてもドリップや焙煎は男の仕事。何年働いても任されないと分かり、私は自分で店を作った。「女性のコーヒー店主で焙煎人」の私は度々珍しがられた。お客から『マスターはどこ?』と聞かれたり、"コーヒー女子”として雑誌に載ったりもした。
時代は変わり、今ならここまで性差を感じることもないだろう。しかし男女共にどこまで役割意識が変わったかは分からない。

これまで生きて、女性で得したことも損したこともあると感じる。しかし男性は男性であることで得したり損したりするのだろうか?
女性であることは嫌ではないが、女を前提に諦めたことはいくつもあった。男性には似たような経験はあるのか?女性のそれを想像出来るのか。

私が女として振舞うときは求められるからではなく、ただ女だからでありたい。私が女として振舞わないのは、それでも女であるからであるように。

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