まだ、アヒルの子。

アンデルセン童話の「みにくいアヒルの子」は、最後自分が白鳥だと知って終わる。もし私もアヒルの子なのだとしたら、本当は何者なのだろう?

昔からみんなが好きなものに興味がなかった。アニメ、スポーツ、アイドル、TVドラマ。どれもテレビが媒体で、親中心の家庭で私は自由に触れる機会がなかった。代わりに古典的な文学、美術、音楽を与えられたがどれにもさほどハマらなかった。中学ぐらいからは音楽でも本でも周りに薦められるままに聴いて読んだ。やがてある詩人と劇団のファンになり、真似して詩や脚本を書いてもみたが、作る側になることはすぐ諦めた。自分の好きに自信がなかった。大学も就職先も似たようなもの。人が良いというものに合わせただけだった。

そんな私が物心付いたのは26歳位じゃないかと思っている。当時ある本に出会った。ライフスタイルを紹介するムックで、会社員でも公務員でもなく、店をやったりフリーランスでスタイルを持って生きる人たちを特集していた。会社を辞め、失業保険を受給中だった私はその本に登場する人達を順に訪ねた。その時の出会いが私の人生を変えた。彼らは自分のやるべきことを明確に持っていて、その道標となるのは流行でも一般常識でもなく「これが好き、やりたい」という、ただの自分の感覚なのだと知った。

童話の話に戻る。アヒルの子が憧れた白鳥の美しさを社会的価値と捉える見方もあろう。しかし心底懐かしい真の自分の姿とするならば、それは自己再発見の物語となる。もしかしたら私たちは、生まれた時には既に身の内に完成した自分を持っていて、それを削り出すためにあっちにぶつかりこっちに倒れするのかもしれない。生きれば生きるほど奥深い自分の核が現れるなら、長く生きるにも甲斐がある。もう充分に生きた私だが、まだ本当の自分を知らない、そう思ってもうしばらく生きてみる。

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