鉄は熱いうちに打て

暑い時に、熱い話。
私の仕事はコーヒーを焼くこと。コーヒーは、原料の豆を200度程度に加熱することであの香ばしさや風味が引き出される。加熱の仕方で大きく味も変わる、そこが腕の見せ所だ。しかし豆を焼く間はバーナーで加熱し続けるので、豆だけじゃなくて機械も、そしてそばにいる人間も熱々になっていく。夏はなかなかに大変な作業。

熱しやすく冷めやすい、なんてあまり誉め言葉にはならない気がする。
自分では割とクールというか、淡々とした人間のつもりなのだけど、先日ひとづてに私について『また何かに夢中になってる、でも飽きたらまたすぐ別のことにハマる』みたいな評を聞くことがあった。あれ、そんな印象なんだ。めったに好きになれるものに出会えないし、そこまで深くのめりこめない。そんな自分を中途半端だと思ってきたけれど、人から見ればそれなりに夢中になってるらしい。
ただひとつ訂正したいのは、その対象について私は飽きたのではなく、自分の中で位置が定まり安定しただけという点だ。確かにそれまでのような過熱は無いとしても、定期的に触れては自分の感じ方、あぁまだそれは大事なものだと確認したりしている。

大人になるにつれ、あと何度夢中になれる出会いがあるだろうと思うし、見送って機会を逃した後悔も増えてくる。だからこの頃、自分の心が動いたと思ったら、お金がない時間がないと否定せず、何が出来るか検討して即行動に移すようにしている。気持ちが向いている時は感動も大きいし、学んだり身に付くものも多いと経験的に分かったのだ。
鉄は熱いうちに打つ、そこで最大限チャレンジして実らなければそれまで。諦めるのは、やってみてからでいい。結果のためじゃない、自分のために出来ることはやる。それが自分を大事にする、ひいてはよく生きることだと思うようになった。

そう、私は案外熱い人間だ。夏にコーヒーを焼いて顔をほてらせても、うっかり火傷をしたりしても、なぜだか笑って許せてしまう。冷めた顔して眺めていても、人生はひとつも楽しくない。賢いフリして澄ましていても、人は全く成長しないと気付いたのだ。

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