勝手に弟子入り

『お店を始める前、どこで修行されたんですか?』と聞かれることがある。そんな時、わたしの師匠は誰なんだろう?と考える。コーヒーの淹れ方や、焙煎機の使い方を教わったことはある。コーヒー店でも何年か働いた。しかし師匠と言って思い浮かぶ人はその中には居ない。

カフェ好きが高じてコーヒーに興味を持った私を、より深いコーヒーの世界に引き込んでくれたMさん。コーヒー界の名店やその歴史、勉強会の紹介、読むべき書籍。当時コーヒーに関する情報は限られていて、その導きが無ければ私は表面的な知識に留まっていたはず。焙煎を直接教わったことはないが、開業の際は私の焙煎機を決める為、場を設けて比較体験させてくれた。
そしてコーヒー人として独自のスタイルを示してくれたWさん。ある本がきっかけでご自宅兼焙煎所にお邪魔することになり、コーヒーの話から楽しい旅の話、本当は絵描きだというご自身の経歴まで聞かせて貰った。その後、とあるカフェで開催されたドリップ講座で定期的に指導を受けた。淹れ方は見て学ぶ形で、各自淹れたコーヒーへの講評を受ける。それは味の話というより個々の人格批評にも聞こえた。私へのコメントは『普通だなぁ』。後は受講者だけでひたすら特訓。「これって講座じゃなくて道場だよね」と言い合った。

どちらの方にも正式に弟子とは認められていない。ただ、ある本の取材で師匠として私はお2人の名前を挙げ、ご本人達にもその旨確認させて貰った。どちらも、あぁ、まぁ大丈夫ですよという位の反応だったが、それは暗黙のうちに弟子入りを認められたとも言えるような…?
さらに勝手を言わせて貰えば、公認しないのは私が自由でいられるようにかと。タイプは全く異なるが、自分らしくコーヒー探求を続けるお2人だからこその配慮だと。…奉公も恩返しもせず、我ながら何を言うのやら。


教えを乞うなら厳しい人を選ぶ
でも厳しさを受け止める胆力も必要で
私は厳しさから逃げてばかり

厳しい人は優しい
甘やかせば損なうと知ってるから
時には沈黙して 遠くから見守るだけ
それは時に寂しくて でも今は分かる
その人もひとり生きて示してる
正解なんてどこにも無いと

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