それもまた導き

先日コーヒー屋としての師について書いた。

勿論これまでお2人以外にもお世話になった方は数知れない。ただ今後も決してその名を挙げないだろう方々もいる。それは当時私が期待に応えられず、また逆に見捨てられたとか傷付けられたと感じ、手放した関係だったりする。しかし振り返れば、その出会いが今に繋がっているとも感じる。例えばあるひと言、『あなたには無理よ』という声が、躓きそうな私を何度も奮い立たせてくれたとか。

会社勤めの頃、ある女性の上司が何かにつけて私を否定して、取引先の新人達の引立て役にするのに苦しんだ。母親ほど歳の離れた彼女に逆らえず、私は言われるがままだった。色々あって退社する際、今後の展望としていずれカフェをやろうと思うと伝えると、彼女に件の言葉を投げ付けられた。しかしその時不思議と私は冷静になり、そっと問いかけた。
「なぜ、そう思うのですか?」
もう今後関わることも無い、私を傷付けた人。それでもこの業界で長年若手の育成に携わってきた人だ。なんでもいい、自分の身になることなら聞きたいと思った。しかし彼女は黙ってしまった。それまでなら即座に思い付く限りの否定の言葉を浴びせてきたのに。

会社を辞めて数日後、私の自宅に荷物が届いた。リチャード・ジノリのカップソーサー、彼女からの贈り物だった。餞別の言葉も無い別れだったから驚いた。
しかし皮肉にも、新品のそのカップは持ち手が取れていた。配送の途中で折れたらしい。発送元のデパートに問い合わせて交換してもらった。なんとなく使う気になれず、私はそれを玄関の棚に飾った。そしてある日、家を出ようとした時にふと手が当たるかして棚からカップが転がり落ち、見る影もなく粉々になった。思わず私は笑ってしまった。縁が無かったな。ソーサーだけでも残そうか迷ったが思い切って一緒に捨ててしまった。

数年後。本当にカフェを開くことになり、少しでも節約しようと自分で店の壁塗りをしていた。高所の苦手な私は冷や汗をかきつつ作業をしていると、ふと彼女の声が蘇った。『あなたには無理よ』。
そうですか。私はこれからカフェを始めます。その時なぜか私は心強さを感じていた、微かな疼きと共に。


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