それで本気なの?

嘆いても仕方のないことを嘆きたくなる時がある。例えば、「もっと頭が良ければよかったのに」。あぁ、言ってしまった!
もっと頭の回転が速ければ。もっと上手にやれたなら。言ってもどうにもならないし、自分の精一杯でやっていくしかないと重々分かっているけれど。

高校の時、体力テストの持久走で必死に走っていたら、バレー部の友人に『それで本気なの?』と責められたことがある。本気だよと反論したけれど、自分が限界まで力を出しているか確信はなかった。いや、本気のつもりだったけど。
本気で出来ないのはただ出来ないから。いや、本当にそうだし。根気や粘りの無さも、私にその能力が足りないからじゃないかな。

能力だけじゃない。勇気とか自信とか。頑なさや心配症から躊躇する、要らない遠慮や自己卑下で動けない。それは意志や心の弱さのせい。身体だって。部活や仕事で頑張ると寝込んでしまう。徹夜が出来ない、集中力が続かない。これらは全部言い訳なの?
やりたいこととやれること、そのバランスを取るため日々苦心している。そして思う、「これが私の限界?もっと出来たら良かったのに」。

頑張ってる人を見て焦りを感じる。奮起してあがいてまたつまずく。身の丈でいい、じゃあ身の丈ってどれくらい?測って分かればいいけれど。
なんで本気を出したいのか。それはやりたいことがあるから。じゃあなんで焦るの?まだ出来てないから。出来るようになるには時間がかかる、でも今の出来なさがやる気をくじく。このままじゃダメじゃない?どうせ出来ないんじゃないと。

ざぶん。と波立つ急流に飛び込んでみる。ここは白い岩に両側から挟まれた水量豊かな川だ。…考えが行き詰まり、空想の世界へ。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」、この言葉で思い出すのは長瀞の舟下りだ。あんな岩だらけの川で流されたらなかなか危険だが、瀬に浮かんで流されて、広々とした瀞に出て見上げれば鉄橋を機関車が走る。青い空。
そうだ、いいんだ、繰り返しだ。本気かは何度でも自分に尋ねればいい。今いる場所に気付くだけ、ここまで来た、まだ先は長い。
出来ないからやってるんだ。出来なくたって、やるしかない。

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