女の子の姿になって初めて、わたしは鏡を直視できるようになった。


物心ついた時には、


すでに自分の顔が嫌いだった。



ほんとうは女の子として生きていきたいのに!!などと思える余裕は無くて。



ただ一方的に適応を迫られるだけの


地獄のような境遇。




家は宗教団体で、うやうやしく掲げられた教祖の肖像画に睨まれながら暮らす日々。ほかの信者たちからみて、わたしだけが明らかに異質な存在で、教団内の誰とも気が合わない。そんなわたしがいることを両親は明らかに恥じていた。



中にいるとはっきりわかる。



宗教団体てのは、

掲げている教義には関係なく、

同質性と同調圧力だけでできた集団だから。




同調圧力に同調せず、同質性にも染まれないわたしは、どこからどう見ても異質な存在だった。



家族全員そろって、わたしを矯正するための家族会議などというものが開かれていたし、


母親からは目の敵にされ、


父親からは性欲を向けられていた。





当時から明らかに性自認は女性。


だけでなく、

説明しがたい表現になってしまうが、

まわりからも、

『部分的には女の子』として扱われていた。



その意味では、性自認に反する性別を生きることを無理矢理強要されたことは、わたしにはなかったと言える。




『男の子らしくしなさい』

と言われたことは、

たぶん一度もない。






そのかわりに、

女だけど女じゃないから許される、みたいな扱いを受け、幼少期からのこの体験はかなり深い傷を残した。





女だけど女じゃない、

とはどのような意味か。



まるで女の子のようだから性欲を向けるけど

本当には女ではないから犯罪にはならない。



という話だ。




男尊女卑が当然の世界で。



男らしさのないおまえには、

男性としての特権を与えることはできない。




しかし女の子というわけでもないから、

どう転んでも

妊娠することも

堕胎させることもないから

それについての配慮は必要ない。





─────同質性に染まろうとしない異質な存在には懲罰を加えるべき、という見方が常識とされる世界だったから、容赦ない。




具体的にどんなことをされていたかは

言いたくはない。

けど、

一般的にはセックスをするのに

(避妊具以外は)道具はいらない、

と知ったときにはショックだったです。





だからわたしの場合、

性別問題(性自認/性指向)とは関係なく、

子どもらしい無邪気さは

かなり早いうちに失われてしまい、

5歳くらい??の時点ですでに、

鏡に映る自分の姿は、

見るに耐えないものでした。


この時点ですでに、

鏡なんて見たくなかった。










まったくの余談ですけど。

寄り道させてください。


いわゆる青年コミック、エロ漫画では、

『可愛い女の子が誘拐・監禁されて、

日々オトコどもに犯されている』

というテーマは定番ですよね。



あれ、絶対ウソです。

『女の子は悦んでいる』

という部分も大ウソだけど、

それについては、

嫌がっているように描いている作品もある。



そこじゃなくて。

『可愛い女の子』

という部分ですね。



女の子、とくに幼少期の女の子の可愛さというのは置かれた境遇にかなり左右されますから。悲惨な境遇に置かれていれば瞳の輝きはくすんでしまうし、それが長くなるにつれて顔面もこわばり、伏し目がちになり、やがては呼吸器系と消化器系に異常が出ますから。あと皮膚病とかも出ますね。



なので、

オトコどもに監禁されて

犯されている女の子が

それでも『可愛い』ままでいるのは、

はっきり言って

不可能です。



まぁフィクションと明記されている作品に

事実性を求めてもムダですけど。












話を戻すと。


わたしの場合は、

性自認:女というのは、

はっきり生まれつき自覚しているもの

だったんですけど。



同時に、

女に生まれるって悲惨なことなんだ。

ということも

人生の早いうちに思い知らされました。



なので、

性別違和を抱えながら生きていく、

というよりは、

ある時点までは、

自分の意思で『男の子でいた』のです。




『女なんかに生まれたくなかった!』


と、強く思っていました。






性自認、って

ほんとうに不思議な概念です。




人生の最初の日から

わたしにとって、

わたしは女の子。



なのに、

同時に、

『女なんかに生まれたくなかった!』

とも、強く思っていて、



どうあれ、

(男という)

『女ではない性別』を纏えることに、

安心感を感じていたのです。





実際、

オトナになってからあれこれ調べてみると、

父親が娘を犯していた話なんて、

いくらでも出てくるじゃんか!!

表沙汰になるのは、

裁判沙汰になったときだけ。

背後に宗教団体があって、

全面的に父親のほうに味方しているなら、

いたいけな小娘ひとりじゃ、

どうすることも

できないよ─────────??









そういうわけで。

わたしはわたし自身の意思で、

男性として生きてきたわけですが。




性自認ってほんとうに不思議な存在。


『女なんかに生まれたくなかった!』

というだけの理由で男性を演じていても、

残酷なくらいに、

すぐに限界に直面させられます。



すなわち、


『男としての人生』を、


まったく思い描くことができない!




人生設計も将来設計も無いままに生き。


男っぽくなればなるほど、


ますます自分で自分がキライになる。




『女の子のようだった』

子ども時代のわたしも、

『すっかり男らしくなった』

成人してからのわたしも。

自分で自分の顔を直視できないほどに、

自分の顔が嫌いだった。





そうやって、

自分の顔がとにかく嫌い!

という部分だけは常に一貫していたので、

『そうでない人生』なんて、

想像もつかなかったのですが、、、、、、、、
















それがどうでしょう!?



ありえないほどの

幸運に恵まれて、

わたしは。



トランスを始めて、

女性ホルモンの効果が

外見にも出始める時期と、


ちょうど

『女性として』

生まれて初めての

熱烈恋愛中の時期とが

ぴったり重なっていたので。


いわゆるひとつの、

恋する乙女、

というやつで。



気がつけば、

恋愛感情に絆されて

すっかり可愛くなっていたわたしは、

生まれて初めて、

鏡を見つめて、

泣いた。




それは女優になれるとかモデルになれるとかのレベルではないかもしれないけれど。



白い素肌に、頬を赤らめ。すっかり生気を取り戻した瞳の輝きはどこかあどけなくて。



───────ええっ!?


───────これがあたし!?





以来、

わたしは

鏡のまえから離れられなくなってしまい、

すっかり鏡ばかり見ている、

『だから女って馬鹿だね』と言われる

(男性から見た男尊女卑の基準によれば)

典型例のような馬鹿な子に

なってしまいました。



鏡に見とれているだけで

馬鹿な子あつかいなのは、

(宗教の)教義を背景にした男尊女卑に

よるものだとしても。




『女ってどうして鏡ばかり見ているの?』

『それはね』

『女の子だからさ!』

という、

よくある女の子らしい女の子になりました💖







憂鬱さも自殺願望も変わらないけれども。

鏡に映った自分自身を見つめているだけで

気持ちが落ち着く、というのは、

大きな変化だと思います。




かつては、自分の姿が鏡に映るだけで

気に入らなくて。

鏡なんて街じゅうにありますからね。



『女であること』から免れたつもりが、

気がついたら『男であること』の苦痛に

日々、苛まれることに、

なってしまっていたわけです。



そのときには、

『男であること』に誇りを持っている人も世の中にはたくさんいて。その人たちは鏡を見て髪型を整えたりしている、ということが、なぜか著しく苦痛でした。ほんとうに、耐え難いくらいに。


そんな時期を

(事件も事故も起こさずに)

無事、くぐり抜け。


『女であること』に、

すっかり寛げるようになった

わたしは、

いまではわたしこそが、

鏡ばかり見ています!







とまあ。

今回記述した例は、

MTF(男→女)としての

わたしの体験ですけど。

たぶんこれはFTM(女→男)でも、

同じことでしょうから。



鏡に映った自分自身を

『はっきり見つめることができるか』

どうかは、

自分の性自認を確認するには、

適切かもしれません。





余談ですが。

顔つきがすっかり変わってしまうほどに

わたしを美しくしてくれたその人に、

(当然といえば当然ですが)

わたしはすっかり夢中になってしまい。

いまでも熱烈恋愛中なのです💕



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