最近の記事

NFTでレンタル

いつかの記事でNFTについて触れたとき、「NFTの活用方法を考えなければ」みたいなことを書いたのですが、思いつきました。 レンタルで良いのではないでしょうか。 NFTをデータとして考えるのではなくて、一点ものの何かとして考えれば分かりやすいと思います。 例えば、二歳上の部活の先輩がレアなカードを持っていた場合、部活内で貸し出しが横行されながら、最終的にボロボロになって先輩の手元に帰っていきます。 これをNFTに当てはめます。 レアなカードが一点もののデータで、貸し出

    • NFTの魅力とはなんだろうか

      昨今ニュースで取り上げられているNFTについて、自分なりの解釈をまとめてみた。 NFTについて NFTとはNon-Fungible Tokenの略称で、非代替性トークンのことである。 鼻につく横文字ですが、海外の文化なので受け入れるしかありません。 これは、データをNFT化することでそのデータが一点ものであることを証明できる技術です。 分かりにくいとは思いますが、要するにサインです。 それがあることによって、ただのグッズが何倍もの値段になる。同じようなことで、データを

      • 才能には反骨心を覚えるしかないのかもしれない

        蜜蜂と遠雷で描かれる縦軸の一つに「才能」というテーマがある。 才能と寄り添いながら生きてきた人と、努力を続けて才能を勝ち取った人と、生まれながらにして原石のような才能を持った人とがコンクールで出会い、共鳴する。 蜜蜂と遠雷の映画の中でも、特にそのシーンが印象深い。 海辺の砂浜で、先に挙げた三人がリズムをつけながらけんけんぱをする、そのリズムは何の歌か、という遊びをしている。それを大人二人が丘の上で眺めながら、同じコンクールに出場していた一人が「俺にもあれは分からない」と口

        • さっき車をゴリゴリに削った

          眠気もありましたね。 こんな時間から息巻いてドライブに出掛けて、法定速度を少しだけ飛び越えながら3時間かけて県内をぐるっと一周。 なんでも出来るような気分になりながら自宅に帰ってきて、何も考えないまま駐車場に車を入れる。 この時には既にしくじりの種が蒔かれていたんですね。 うちの駐車場は少し停めにくいところにあるので、いつもは気を付けて駐車をしていたところ、気が大きくなったまま滑り込むようにバック駐車の構えに入った。 勢い余って塀にゴリゴリ削られた。 誰も起きていない

        NFTでレンタル

          帰ってくるのが初めてだったという話

          転勤から帰ってきて二年ぶりの本社復帰。 懐かしい人との再会などがありつつ、久し振りの実家暮らしが板に付いてきたこの頃。 最近どうも胸焼けがします。 最初は気にしていなかったのですが、さすがに気分を害しはじめたので理由を考えてみました。 タイトルにも書いた通り、僕は今回が初めての逆戻りだったということです。 具体的に説明します。 小学校から中学校に上がるとき、初めて顔を合わせる人もいつつ、基本は仲の良かった人と共に中学校生活を過ごしました。 それから高校へ行き、誰

          帰ってくるのが初めてだったという話

          全部壊れてしまえ、に成人を過ぎてから共感を覚えた

          この世界の理が全て壊れて仕舞えばいいのにと思うようになりました。 こういう言い方だと誤解を与えるかもしれませんが、僕は至って健全です。ただここ数日で、むしゃくしゃすることが多くなったのは原因の一つだと思います。 全部壊れて仕舞えばいいのに。 学生時代には敬遠していたはずの言葉なのに、なぜ今になってそんな感情が湧いて来たのか。 結論から言えば、世界の壊れ方を想像できるようになったからだと思います。 現在、浮き足立っている世界情勢の中で、何がきっかけでどんなことが起こる

          全部壊れてしまえ、に成人を過ぎてから共感を覚えた

          プログラミング初心者あるある

          最近プログラミングを始めた。 というのも、誰もが胸を打たれるようなサイト案を思いついたのだが、それを形にする力がなかったため、またプログラマーの作業環境への憧れから勉強を始めた。 そんな中で感じた初心者あるあるです。 ・「サルでも分かる」のサイト名が多すぎて迷子になる -多分初心者への取っ掛かりとして一番分かりやすい言葉なのだろうが、多過ぎるとサルじゃなくても分かりづらい。 プログラマーの方は、なまじ要領がいいからか他サイトの良いところを研究しているのだろう。しかし、同

          プログラミング初心者あるある

          信念には追い付いてくれない三日坊主

          訳あって、頭の中にある無数の言葉を吐き出そうと思いつくままにnoteを綴ることにしていた。最低でも週に2回というノルマ付きで。 それからだいたい半月が経って、今の頭の中は空っぽである。 あれだけ脳内の言葉が渦を巻いていたのに、整理整頓して文字起こしをすれば大した話ではなかったと気付く。 それ自体は良かった事として受け止めていいと思う。その証拠に、今は久しぶりに頭がスッキリしている。 しかしそうなると、もうノルマを乗り越えるだけの余力が残っていない。 ヨルシカの爆弾魔を聞き

          信念には追い付いてくれない三日坊主

          慣れてない空想は難しい

          好きな小説として「新世界より」を挙げる。 これは、1000年後の日本を舞台に、一度朽ちた文明が呪力を伴い新しい文明を築き上げた。そこで暮らす少年少女の物語である。 好きなところを挙げ始めればキリがないが、特筆すべきところとして世界構築の秀逸さに目がいく。 文明が一度滅び、再生しているからか、今の時代と比べるとどこか原始的。しかしそこには一つの不純物もないせいで、病的に美しい日本、とまで言われている。 それに加え、呪力の力、不自然な噂話、バケネズミと呼ばれる不気味な生き物

          慣れてない空想は難しい

          そういえば人に怒ったことがない

          この間上司に怒られた時、自分があまりピンと来ていなかったからか「これはお前のためを思って言ってるんだぞ」とさらに詰められた。 僕はその言葉が一番ピンと来なかった。 それもそのはず、自分が今まで人に怒ったことがないから、人のことを叱る人の気持ちが全く理解できないのである。 でも、どうして怒るのか、どうして怒ったことがないのか、それすらも考えたことがなかった僕は少し興味が湧いた。 そうして仕事そっちのけで人が怒る理由を探っていると、ある程度の答えが導けた。 人に対して怒る

          そういえば人に怒ったことがない

          人生の賞味期限と消費期限

          この人生、思ったよりも時間がない。 なりたい自分があるとして、追い付いてみたい将来像があるとして、そこに理想のまま辿り着こうと思ったらたくさんのことを切り捨てなければならない。 ただそれも難しい。 であれば、理想とする将来像から少しずらして及第点を見つける、もしくは将来像へのアプローチにかかる時間を少し先延ばしにする。このどちらかではないかと思う。 しかし、そんな短いスパンで考えていること自体が不毛だとしたらどうするべきか。足りない頭で考えてみました。 人はいつ死ぬの

          人生の賞味期限と消費期限

          他人と比べて優越感に浸れるときはだいたい高下駄履いてる

          自分で考えました。やってやれないことはないです。 昔から人の顔色を伺うのがお家芸だったので、誰かといると常に張り詰めて、今となっては一匹狼の人嫌いみたいになっている。 ただ、結果としては今の自分が一番好きかも知れないという話です。 最近になって分かったのですが、僕は小学校に入ってから今に至るまで常に人の魅力を独自のものさしで測り続けていたみたいです。 具体的な基準は ・好きなことに対する熱量 ・表面的な面白さ ・人としての奥行き です。気持ち悪いガキですね。 あの人は

          他人と比べて優越感に浸れるときはだいたい高下駄履いてる

          読みにくい文章

          文章の読みやすさはどこで決まるんだろうか。 個人的に好きな作家が居て、個人的に好きな文章はあっても、明確にこの条件を満たすから好きだ、と言える根拠がない。 そもそも好きという感情はそう言った曖昧な出所から湧いてくる衝動なので、そこを突き詰めようとするのは間違っているのかも知れないが、ここを知れたら今まで以上に自分の感情に寄り添えそうな気がする。 ということで考えてみました。 文章の読みやすさは、明確にこういうものだと一口には言えない。 例えば言い回し。 あえて遠回りのよ

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          歴史の乱回転

          「歴史は韻を踏む」という言葉が好きですが、そもそもどうしてこの言葉が響いたのか。 過去を振り返ったって仕方がない、という前向きな意見に対しては野蛮だなと思っていたし、歴史は繰り返すから過去に学べ、と言っていた歴史の先生の話は基本的につまらなかった。 要するに両極端だったんだと思います。だから間をとったようなこの言葉が響いた。 そう考えてから自分の知識と照らし合わせてみると、歴史と今とではかなりの相関が成り立っていた。経済の相場が10年スパンで似たような形になるとか、疫病と

          歴史の乱回転

          文章力と矛盾

          語彙力が正義だと信じてひたすら美しい言葉を漁ったこともあったけど、それが自己満足だと気付くのに結構な時間がかかってしまった。 貴重な人生を無駄にしたとまでは言わないが、あくまで人生を生きる上では、必須ではなく予備知識の一つでしかない、というのが僕の解釈です。 まず伝わらない。そして、相手は別に悪くない。 手前味噌だけど、とか言っても鼻につくだけ。大手を振って「今から自慢するけど」と言った方がまだマシ。で、自慢するなよ大した人間じゃないんだから。 また、言葉自体の強さを扱い

          文章力と矛盾

          無題

          ちょっと色々あったので、もう思うことがある限りその度にnoteに書くことにしました。少なくとも週に2回。多分どぶ板文章になるので、読んでもらうのは時間の無駄だと思います。永遠にnoteを更新し続ける気持ち悪い顕示欲みたいに思われるかもしれないですが、気にしないで下さい。言葉を呑み込んで排便で捨てるよりはいくらか身になりそうだと思ってのことなので。