読みにくい文章

文章の読みやすさはどこで決まるんだろうか。

個人的に好きな作家が居て、個人的に好きな文章はあっても、明確にこの条件を満たすから好きだ、と言える根拠がない。
そもそも好きという感情はそう言った曖昧な出所から湧いてくる衝動なので、そこを突き詰めようとするのは間違っているのかも知れないが、ここを知れたら今まで以上に自分の感情に寄り添えそうな気がする。
ということで考えてみました。

文章の読みやすさは、明確にこういうものだと一口には言えない。

例えば言い回し。
あえて遠回りのような表現をすることで、文章そのものがひょうきんになることがある。
これは長文の中で隙が生まれることにより、文章自体に親近感を覚えるからだろう。

句読点についても。
きっちりした人の文章は、油断なく隙なく頭から結までびっしりと技術が詰め込まれている。また句読点が多いのも特徴的。
これはその人の人間性が直接表れているのだろう。その文章を読むだけで身が引き締まる、集中させられる。僕はこれには属さないから、凄まじい文章だな、といつも思う。

ここまで考えて分かったことは、文章はその人の人相を表すということだ。
文章に特徴があれば、そこから逆算してその人の大まかな人生を想像できる。どんな環境で育ったのだろうか、とか誰に影響を受けて、とか。

であれば、文章が読みにくいとはどういうことか。
ズバリ、その人の人格がまだあやふやで成り立っていない、ということではないだろうか。読みやすい文章にはその人の人相が現れ、読みにくい文章にはブレブレの心情だけが浮かび上がっている。

結論として、文章を整えたければ人格を磨き立派になれ、という解が導けました。

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