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思考整理の文章置き場

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日記ではない長文のエッセイや、もぐら会「書くことコース」の原稿などをまとめています。
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#思うこと

問いを与えられる喜び。哲学の美しさをバカロレア試験から。

問いを与えられる喜び。哲学の美しさをバカロレア試験から。

こちらに向かってくると思っていなかった質問をふと放り投げられる。立ち止まり、どれどれと題を手にとって考えてみると、頭のなかにあった情報が客観化され整理立てていくうちに自分だけの論が生まれる。それが哲学だ。

哲学をすることは面白い。わたしは、フランスのバカロレア(baccalauréat)試験で必須とされる哲学の出題を毎年何よりも楽しみにしていて、これをフランス人学生たちが18歳の時点で問われるん

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『夜と霧』 "生きる意味を問う"意味についての結論とは。

『夜と霧』 "生きる意味を問う"意味についての結論とは。

ヴィクトール・E・フランクル著の「夜と霧」を読む。もぐら会の参加者が勧めていたもので、この本の前に心理士のエッセイを読んでいたから連続して読むと相乗効果がありそうだと、手に取った。

が、作品の中で書かれた現実はあまりにも深刻すぎて、わたしが想像するだけでは事実に到底及ばない。まったく補えない。苦しい、そして息がつまる。ただ心理学者がこのテキストを書いていることから、文章はどこか客観的でもある。そ

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自分自身で自分の傷を癒すことは可能か、ケアとセラピーを考える。

自分自身で自分の傷を癒すことは可能か、ケアとセラピーを考える。

最近エッセイスト紫原明子さん主催の「もぐら会」というコミュニティに参加することになった。今流行りのオンラインサロンみたいなものにはどちらかというと毛嫌いしていたし、性格としても優柔不断なわりにはピンときたものにはすぐ行動するので、参加してからじわじわと「コミュニティに参加したことの意味」を感じ入っているところである。

さて、その会で主催者の紫原さんがお勧めしていた本、「居るのはつらいよ: ケアと

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足を踏まれた人の痛みは、踏まれた人にしかわからないのか論

足を踏まれた人の痛みは、踏まれた人にしかわからないのか論

ぐうの音もでない、それを言うと何も反論できない、という言葉がある。水戸黄門の印籠のようにかざせば他者の言葉を封じることはできるが、残念ながらその後に与える心象は最悪だ。吐き出された相手には、「ああ、こういうことを言う人なんだ」「断絶をしたいんだな」とネガティブに受け取られてしまう可能性がある、それほど強い言葉。

「足を踏まれた人の痛みは、踏まれた人にしかわからない」。

大学時代、学んでいた社会

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