ちょもらんま
専門知識はありません。アートは友人、カンヴァスの向こうにいる画家たちもまた友人……。そんな思いで、自由に綴ります。💐
元気や勇気、気づきやインスピレーションをいただいたり、素敵だなぁと思った記事を集めてゆきます。🌻 是非ぜひあなたとシェアしたい……!
食リポ(?)を含んだ自由なエッセイ。ちなみに大好物は、パフェ、カレー、麺類、ピザ、丼もの、パクチー、梨、桃、それから………… (続く)。食いしん坊です。🥂
雪が降り始めた。12時半頃、お昼を食べようと席に着いた時はまだ降っていなかったのに、食べ終わってふと窓を見たら白いふわふわが音もなく降り注いでいた。眺めているときれいだけれど、能登半島地震で今も避難生活を送る方々や復興支援に携わる人々、受験生のことなどを思うと、どうか積もらずに交通機関も止まらず動きますようにと心から願う。 日常 さて、そういえば2月だ。1月はのんびりしていたようで意外にも外出する用事が割とあり、気づいたら2月に入っていた。というのも、11月の終わりご
蕁麻疹やら進路再考やらですっかり更新が止まってしまっている……💭 けれど、年が明けて、初詣や親戚の集まりが落ち着いたら、また更新を始めよう🌱🌟 なんといっても、2023年、唯一新しく始められたのがnoteだから。🙆🏻これからも続けていきたい✨
昨日は待ちに待った、とっておきのご褒美デーだった。お天気も、そんな日にぴったりな青々とした秋晴れ。肌寒くなってきた最近にしては、少々あったかすぎるくらい。嬉しい。こんなに嬉しいことはない。 と、ちょっぴり大袈裟な出だしになってしまったが、なんてったってご褒美だもの。昨日の私はルンルンだった。いったい世の中のどのくらいの人が、どれくらいの程度や頻度で自分へのご褒美というものを設定しているかはわからないが(ぜひ知りたいところだ)、私の場合は月に一回、一日まるごと自分をいたわ
午前一時。 正直に話そう。今思っていることを、ここに全部書いておこう。自分が何に悩んでいたのか、何に苦しめられていたのかを。自分の本当の気持ちはどこにあって、自分はこれからどうしたいのか、どうすれば自分の人生を生きられるのか。前を向いた言葉だけじゃなくて、自分が何を見誤っていたのかも。素直な私で全部書く。だって今、わかったんだからーー。 今日の出来事。 今日の夜、とっても久しぶりに人に会った。本当に家族と病院の先生以外に約半年ぶりに会った。飲みに誘ってもらったのだ。
やっっと涼しくなりはじめたな〜と思ったら、途端に朝晩の冷え込みと昼間の寒暖差である。体調には気をつけたいが、秋の虫の声がきこえてくるようになって嬉しい。しかしながら、近年の秋はいきなり急降下するようにやってきて、かと思うとあっという間に過ぎ去ってしまう。サーッと獲物をさらってゆく鳶のような、風のような。そのすばやさは私たちに、さみしさを色濃く残してゆく。毎年のように秋が好きだ、君が四季の中で一番好きだと訴えている私の努力もむなしい。 私が小学生くらいの頃はもっとゆっくり
また台風が来ている。私の住んでいるところでは昨日の夜中からしとしとと雨が降り始め、朝起きると雨風が強く吹きつけていた。午前中いっぱいは雨戸ががたがたと鳴っていた。もっと冒険の扉を叩くような、楽しい素敵な音だったらいいのに。雨戸が鳴る音はこわい。こわいって言ったって、ちょっとだけれど。今日は鳴っていないから良いが、雷の音はもっとこわい。… 🙀 でも、雨の音は好きだ。そういう人は割と多いのではないかと思う。雨に打たれるのはごめんだけれど、降る雫を眺め、その調べを聴くのはなん
この間、お店でカツ丼を食べた。 カツ丼といえば、しっかり重たいものを食べてお腹を満たしたい時の、いわゆるガッツリ系の代名詞だ。丼ものというだけでもガッツリなのに、さらにカツに卵とくれば、それはもうガッツリではおさまらなくてドッシリだ。ドッシリ系の代名詞と呼びたい。 おいしいものには目がない私なので、カツ丼なんて育ち盛りの野球部員であれば毎日食べたいくらいであるが、一応現在では二十代の女の子なので、そう頻繁に食べるわけではない。前回食べたのはいつだったか、思い出せない
お昼ごはんを一人リビングで食べ終え、コーヒーを淹れてふぅっとため息をつくと、なにやら背後が騒がしかった。背後にはベランダの窓。今日は気温が高く蒸し暑いので網戸にしているから、洗濯物が風に揺れる音がするのは午前中と同じだ。 しかし、お昼ごはんを境になにかが違う……。そう思ってふりむくと、そこにはどこまでも青すぎる青空が光っていた。太陽だ、そして空だ。午前中は晴れる予感がありつつも白く曇っていたのに。いつの間にか、見事な灼熱の太陽が私の背中に笑みを投げかけ、雲はふんわりと身
昨日久しぶりに日記をつけたくなって書いたので、noteに起こしてみる。 昨日はまず、朝9時に起きられた。無事にバイトが決まった私は、少しずつ生活にリズムをつけようと最近心がけている。だから、起きられた自分を褒めてあげる。起き抜けにちょっとでも自己肯定感を上げてあげられると良いよね。その日一日が少し、こわくなくなる。まあ、寝ぼけていて忘れちゃう日の方が多いのだけれど。 おとといの夜の残りの塩ハラミで朝ごはん。うん!炊きたてのほかほかなお米とよく合う。お味噌汁も忘れずに
駅で小さな神様を見た 17時、新横浜駅の南a改札を出てイヤホンを落としたところから土曜のライブは始まった。その一時間後に生演奏を聴くKing Gnuの曲を流していたLのイヤホンが、外そうとした左手の指をするんと離れて落下した。まあるい愛らしいフォルムなので、ころころとはずむように転がる。 その様子を見て、ふふ、なんだか楽しそうだ、なんて思う余裕はなく、足元の雑踏をいそいで視線でかき分けながら少し焦った。ワイヤレスイヤホンのすばしっこさは侮れないから、早く拾わなければ…
06.02 ※思考を掃き出す、今を書き留める、自分のための記録です。 はたらくってどういうこと? 生きるってどういうこと? 幸せってどういうこと? 最近、そんなことをぐるぐると考えています。考えても仕方ないのかもしれないような、大きすぎる問いを。 なぜ、そんなことを考えてしまうのか……。第一に、頭のネジがはずれてしまったんだと思います。そして第二に、自分でもぼんやりとはわかっているんだと思いますが、言語化しよう、可視化しようとすると、わかりません。 いつかこの
この手のなかの本を、ボロボロにしたいと思った。 指紋だらけで手垢だらけで、ボロボロのよれよれになるまで、何度も何度も読みたいと思った。 この本をたずさえ旅に出て、各地に連れまわして、大事に大事に持っていたいと思った。 本への愛情。本への最上級の賛辞。それは「ボロボロにしたい」ではないかと思った。 『こちらあみ子』で太宰治賞を受賞した時の今村夏子さんの言葉にも、「いつか、たった一人の読者の手によって、ボロボロになるまで繰り返し読んでもらえるような物語を生み出す
日本人からも特に愛されているパリ生まれの画家、オスカー・クロード・モネ。 以前、「動いて見える絵画の正体」という記事を書き、そこではゴッホの作品を取り上げましたが、モネも絵画の中に動きを取り込む達人です。 自然を愛し、産業革命が進むなかを生きた彼は、写実的な作風はカメラなどに取って代わられると予見し、光や人々の動きを描くことによって時の移ろいをも作品に込めました。 芸術に関して初心者の私は、そんな彼の作品は川や池などの水や、草、木、花、もしくはそこに佇む二、三人の
やっぱり本屋さんって、最高だな〜と思ったお話。 先月、就職するつもりでインターン生として勤めていた会社を退職した。 お医者さんの判断もあって辞めることになり、できることならその仕事を続けていたかった私は、正直、燃え尽きたような心持ちで日々を過ごしていた。やりがいがあって、心強い仲間がいて、夢中になれていた仕事を手離してから約一か月間、まだ新しい場所で正常に作動できる気がしなくて、ただ穏やかに暮らすことだけをしていた。 ごはんを食べて、本を読む。家事をして、not
ここ数日、全国の様々な箇所で、今年に入って一番の最高気温を記録しているとニュースで報道されている。🎐 私の住んでいる東京でも、30℃を超える真夏日が続く。もはや雨の降る日しか、5月らしい気温の日はない。 いささか早い気もするが、体感や気分はもう夏。とはいえクーラーをつけるのは地球のことを考えてもう少し我慢し、扇子で仰いでなんとか涼む。そしてもちろんアイスを食べることは当然ながら、飲みものも夏仕様にしなくてはと思う。 こう暑くなられては、私の喉も黙っちゃいない。喉から手が出
藤田宜永さんによる小説「壁画修復師」を読了した。🎨 ある日、買うつもりはなく眺めていたブックオフの棚で、きらりと瞬いたように見えたこの本のタイトル。漢字五文字にピントがあった瞬間、私はたちまち吸い寄せられてしまった。 棚からそっと引き出すと、今度は内容紹介文中の文字がきらりと音を立てて光った。"フランスの田舎町"、"中世フレスコ画"ーー。全文はこうだ。 最近アートに関心を寄せている私は、"フランス" というワードに弱い。しかもその "田舎町" となれば、誰もが胸をときめか