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この手のなかでボロボロになるまで

 この手のなかの本を、ボロボロにしたいと思った。

 指紋だらけで手垢だらけで、ボロボロのよれよれになるまで、何度も何度も読みたいと思った。

 この本をたずさえ旅に出て、各地に連れまわして、大事に大事に持っていたいと思った。

 本への愛情。本への最上級の賛辞。それは「ボロボロにしたい」ではないかと思った。

 『こちらあみ子』で太宰治賞を受賞した時の今村夏子さんの言葉にも、「いつか、たった一人の読者の手によって、ボロボロになるまで繰り返し読んでもらえるような物語を生み出すことができたら、どんなにか幸せだろうと思っています。」という一節があった。

 先日買った『中国行きのスロウ・ボート』(村上春樹・著)の文庫カバーの裏表紙にも、「僕たちは我れ先にと取り合い、結局、二冊買って、どっちがよけいボロボロにするか、競ったものだった。」と書いてあった。


 そういうことなのだろう。
……そういうことなのだ。


 真新しいものが美しく見えるのは当たり前だ。きらきら、ピカピカ、光っていれば、誰だって一度くらいは見たり触れたりしたくなる。

 けれど、ふるくてくたびれたものは、時になににもまさり美しい。心のなかにある、思い出のように。真新しいものには出せない、神秘的な輝きがあるからだ。たくさんの愛情を受けて擦り減ったものは、擦り減った分だけ、磨かれている。


 そんなことを思った私の掌には、今、梶井基次郎の短篇集が握られている。

 陽を浴びて輝く麦畑のような、黄色く、甘い香りのする表紙を、指の腹でそっ、と撫でた。上質なようなその紙のつるつると滑らかな撫で心地は、ほんのわずかに凸凹していて、本物の果実の皮みたいだった。

 ………『檸檬』。

 君はボロボロになればなるほど、この手のなかでその芳香をつよく儚く漂わすのだろう。危うく妖気で無邪気なその香りをーー。
 

『檸檬』 23.05.31


 明日から、6月ですね。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました!
🌱🪿

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