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夏から秋への移行雑記と、この静物画が好きすぎる🍁

 やっっと涼しくなりはじめたな〜と思ったら、途端に朝晩の冷え込みと昼間の寒暖差である。体調には気をつけたいが、秋の虫の声がきこえてくるようになって嬉しい。しかしながら、近年の秋はいきなり急降下するようにやってきて、かと思うとあっという間に過ぎ去ってしまう。サーッと獲物をさらってゆく鳶のような、風のような。そのすばやさは私たちに、さみしさを色濃く残してゆく。毎年のように秋が好きだ、君が四季の中で一番好きだと訴えている私の努力もむなしい。

 私が小学生くらいの頃はもっとゆっくり、徐々に季節が変わっていって、秋はもっとのんびり屋さんでもう少し長居していったと記憶しているのだが……。まあ、そんなことを滔々と語ってもしかたがない。生徒会長の水沼史郎も、きっとこう言うであろう、「諸君!短くも尊い我らの秋を、存分に楽しもうではないか!」とね。


夏から秋への移行雑記

 と、いうわけで、秋が大好きな私は、今年も楽しむ準備万端である。秋にはやることがいっぱいある。まず、長いようであっという間だった夏の余韻に浸ること。

 今年も『サマーウォーズ』と『海街diary』観たなぁ(この二つは私のなかで夏の大定番)、避暑地にキャンプ行ったなぁ(これは家族での恒例行事)、かき氷も食べたなぁ(これなくしては夏は終わらず、そもそも始まりもしない)。キャンプ旅行ではブルーベリー狩りと向日葵畑にも連れてってもらって、そうそう、"ひまわり" といえば、あのゴッホの"名作"がカバーに印刷された原田マハさんの『リボルバー』(推理小説)が文庫になって出たので、買って読んだ。終始わくわくハラハラして、ゴーギャンのこともたくさん知れて、ふるえたなぁ、おもしろい作品だったなぁ。

 それから、『君たちはどう生きるか』が公開されて観に行って、そういえば海には行けなかったけど、山下清展に足を運んで大きな花火《長岡の花火》を見た。あれは迫力あったなぁ~…、山下清という人物にもたいへん魅せられた展示であった。うん、うん。

 ……と、こんな調子でしみじみと振り返り、最後に夏の終わりにちょうどよい、夏から秋へと移行する合間を彩る曲を、イヤフォンから流すのである。これも私のなかでお決まりがあって、フジファブリックの「若者のすべて」と、荒井由実の「ひこうき雲」。前者は"エモい名曲"として名高いし、後者も映画『風立ちぬ』のエンディングテーマ曲として知っている方も多いのではないだろうか。この二曲は、必ず聴く。でないと夏が終わらない。

 「ひこうき雲」は、この間一人でギターを弾いて歌っていたら、涙が止まらなくなってしまった。最後の方は嗚咽のために自分でもなんと歌っているのか聴き取れなかった。(笑)よく晴れた夏の高い高い空を窓から見上げながら歌ったからかもしれない。夏空というのは、なにもかもを吸い込んで透明にしてしまうような、見るものを映す鏡のような偉大な空だから。

 ◯

 そんな夏の青さにさよならを告げて、さて、ようやく秋の話題である。読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋。🍁

 読書は大好物ですから、お任せあれ。読みたい本は山積みだ。食欲の方も任せといて!。お恥ずかしいが私は体調を崩した時でも、なぜだかほとんど食欲は落ちない。むしろ旺盛な時もある(謎)。スポーツは、現在はなにもやっていないので、テレビの前にかじりついてW杯バレーを応援することに熱を上げている。パリオリンピックへの切符をかけた戦いだ。たまぁにちょっぴり、観ながら自分も筋トレしてみたり…。

 そしてお待ちかねの、芸術の秋。絵は自分ではあまり描けないけれど、鑑賞するのは大好きだ。楽しみにしている展示がいくつもある。10月後半から、ゴッホと静物画展にモネ展!また、それに先駆けて、ピカソやシャガールの作品がみられるキュビスム展も始まっている。お財布や体調との相談はあるが、わくわくした気持ちでいっぱいである。

 それからなんといってもきれいなのが、紅葉や秋特有の澄んだ空気。そう、つまりお散歩の秋。そして、お洋服やおふとんなどの主役が交替し、生活する景色の風合いが変わってくるのも私の好きなポイントだ。コーデュロイやフランネル、毛糸に羽毛。おととい、長袖のパジャマやひざかけを出して、スリッパも秋らしいものを新調した。

 夏のパリっとした素材や薄くてサラッとした生地感も好きだが、特に秋冬の素材はふかふか、もふもふ、ぽこぽこしていて、触り心地が最高だ。洋服は重ね着という着方を楽しめるのも好きだし、私の場合秋冬になるとなぜか古着も着たくなる。ノルディックやチロリアンな雰囲気が、私には合うようで落ち着く。手編みでつくられた一点ものや、それが大事に大事に着られてはるばる日本にやってきたことを思うと、胸がおどり、ほのぼのする。

そういえば読書に関して

 前回の記事で "最近は本を夢中になって読めなくて……" というようなことを書いたが、少しずつ読めるようになってきた。子どもの頃から読書が好きだった私にとって、ほんとうに読む気が起きない、というのははじめてで少し戸惑ったが、それによって気づかされたことがある。本は癒しになってくれたり、新たなものの見方や知らない世界のことを教えてくれたりするが、それらを受け取るのにもちょっとした隙というか、それらが入り込める余白が必要なのだということ。

 本を読むにも心のゆとりが必要だなんて、思いもしなかった。落ち込んだり疲れたりしたら、本を読めば回復すると思っていた。でも、人はそれすらもできないほどに、悩んだり思いつめたりして、頭も心もいっぱいになってしまう時だってあるのだ。それを身をもって知ったのだった。

 今悩んでいることや不安に思っていることは、まだ解消したわけではない。いまだに体調や今後・将来のことについては相変わらず考え過ぎる日々を送っているが、ひとまず本は読めるようになった。どうやって戻ったのかというと、読めない間はまずひたすらアニメや映画を観た。同じようになにかを吸収する、という過程でも、「読む」だと能動的だが「観る」はそれより受動的だ。なんというかよりラクな姿勢で、落ちている集中力でも享受できた。

 それから児童書を読んでみようと試みた。新しいものよりかは、子どもの頃によく読んでいたものを選んで。私の場合、ファンタジーものが多かった。読めるかな……ちゃんと没頭できるかな、とドキドキしながらページをめくりだすと、あら…?。思った以上に大きな文字と、読みやすい癖のすくない文章。子どもの目線や子ども心に寄り添った素朴な感性とタッチで、さすがは児童文学、みるみるうちに惹き込まれる遊び心満載のストーリー。ちょっと不思議な、素敵なお話。🧒🏻

 ……あぁ、そうだ、そうだった!物語のたのしさって、こうだった……!そんな純粋なたのしさと懐かしさに取りつかれて、私はまた再び本を熱中して読むようになった。児童書ブームは続いていて、昨日も児童図書館に行ってきた。大人になっても、面白い。そんな児童文学の奥深さに気づけたことも収穫だ。

最後にアート鑑賞

 それでは最後に、もうすぐ「ゴッホと静物画展」も始まることだし、(10月17日(火)~ 東京都SOMPO美術館にて開催🌻)ゴッホの描いた静物画の、私の好きな作品の一つを、軽やかに鑑賞して終わろうと思う。

フィンセント・ファン・ゴッホ
「Still Life Potatoes in a Yellow Dish」
アルル時代/クレラー=ミュラー美術館
(画像はアプリ「PINTOR」より保存)

 秋の味覚といえば、これ。ちなみにさつまいもは私の大好物。あ、でも、それで選んだわけじゃないですよん。このごろごろとした質感や雰囲気は、なんだか重みまで手にずしっときそうなリアルさがあって、だからこのさつまいもたちが、私にはすごくすごく愛おしく見えるんです。
 そして一つ一つのさつまいもの表情、芋だけを見ても秀逸ですが、黄色いお皿がそれをさらに引き立てていると思いませんか?。また、ちゃんっと影や床には、ゴッホの得意な補色が使われています。

 でも、私はいつも思うのですが、彼の作品は補色が多用されているから美しく見えるのではなく、彼の絵の具の調合力が、絵全体に整合性をもたらす魔法をふりかけていると思うのです。この絵には土っぽさというか、素朴な感じになるように彼の魔法がかかっていると感じます。
 芋だけでこの表現力の見事さと、それから入れ物が少し中央から左にずれて描かれていることで、影がちょっとだけ存在感を増し、全体的に物寂しさが少しプラスされている気がします。そんなほのかなわびしさもひっくるめて、この作品が大好きです。

 あ、もちろんこれは私の、あくまで個人的な感じ方ですが。でも、感じ方は自由。それがそもそもの、芸術鑑賞における大事なことだと思いますから。自由で良い。だって今この絵画の題名の日本語訳を調べていたら、どうやらこのお芋はさつまいもじゃないみたい……?な、な、なんと、じゃがいもなのか。びっくりです。でも、これでこの作品がより好きになった……!
 これを読んで下さっている皆さまには、じゃがいもとさつまいも、どちらに見えるでしょうか?ふふふ。どちらにせよ、こうしてずーっと眺めていると、お腹がすいてくる作品ですね。

 ◯

 今日の夜ご飯はなんだろう…!我が家では、休日は父が張りきって作るので、お父さんに聞いてみようっと。なんだかお醤油のタレのような匂いがする……。

 今回も最後まで読んで下さって、ありがとうございました🍵🕊️
皆さまあたたかくして秋をお迎えください🍂

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