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10.11 正直に話そう。

午前一時。

 正直に話そう。今思っていることを、ここに全部書いておこう。自分が何に悩んでいたのか、何に苦しめられていたのかを。自分の本当の気持ちはどこにあって、自分はこれからどうしたいのか、どうすれば自分の人生を生きられるのか。前を向いた言葉だけじゃなくて、自分が何を見誤っていたのかも。素直な私で全部書く。だって今、わかったんだからーー。

今日の出来事。

 今日の夜、とっても久しぶりに人に会った。本当に家族と病院の先生以外に約半年ぶりに会った。飲みに誘ってもらったのだ。誘ってくれたのは前の会社の先輩や仲間。働いていた頃は一日のうち家族よりも長い時間一緒にいたのに、約半年ぶりとなるとかなり緊張した。そう、今だから言えるけれど、平気な顔を装って実はすごくドキドキしていた。

 だって……だって私、体調不良を理由に今年の4月に退社してから、ほとんどなにもしていない。そう、臆病者の私は、一歩も前に踏み出せていなかったから。皆んなからは色んな楽しい話が聞けるだろうに、私が皆んなに話せることなんてなにもない。そんな、今日まで時間が止まっていたも同然の私に、その間もずっと走り続けてきた仲間と会う資格なんてあるのか……。正直そう思っていた。皆んなが私と会ってガッカリしないか、不安だった。ていうかいつの間にか嫌われ者になっていたらどうしよう。そんな妄想まで、実を言うと頭をかすめた。自分に自信がなくなると、人を信じることも難しくなる時があるらしい。

 ……だけど、会ってみると呆気なかった。気がつくと冗談の一つや二つが勝手に口から飛び出していて、止まっていた時間はあっという間に飛び越えられた気がした。その瞬間を味わえたのは、ビールの一口目よりも嬉しかった。皆んな人当たりは全然変わっていなくて、一方で仕事面では(環境の変化は色々ありながらも)良いふうに前進していて。チームの人数が増えていったり、仲間と一緒に住み始めたり。皆んなの充実していることがわかる表情を見て、とても安心した。と同時に、私は一つ気づいたことがあった。そっか……。皆んなに会う資格がないとかナントカ、ごちゃごちゃ一人で考えてないで、もっと早く皆んなと会えば良かった。"助けて" って、話を聴いてとだけでも言えば良かったんだ。

苦しかったのは。

 この半年強、苦しかったこと。【①】まずは体調を崩したことがきっかけだった。崩した、といっても突然というわけではなくて、以前から少しずつ少しずつ綻びが出てきていたのをなんとなく目を逸らし続けてしまって、気づいたらかなり酷くなっていたという感じだった。【②】その対処の遅れに対しての後悔も自分を苦しめたし、体調が原因でそれまで頑張ってきた仕事を辞めなければならなくなったことも苦しかった。【③】人を頼ることが下手だった私は誰かにきちんと相談することもできなくて、その結果お世話になった人たちに突然退社を告げることになり、そのことも心苦しかった。【④】その後、体調を気にしながら過ごす日々はとにかく不安でいっぱいで、四六時中自分と向き合っていると逆に自分のことがわからなくなったりもした。どれも初めての経験だった。

 【①】の病状については、女性のことに偏る話なのでこれまでなんとなく書くのを避けてきたが、今日は正直に全部書くと決めたので書く。(女性のことといえど、これからは男性の理解ももっともっと必要になってくる話題だと思うので、躊躇わずに読んでもらえたら嬉しい。)名前は月経困難症という。

 これまでに経験したことのない鋭い腹痛と気持ち悪さ。その前にちょっとでも何か食べていれば、必ずといっていいほど吐いてしまった。この二大症状はたいてい1時間以上続き、その間冷や汗が止まらなくなる。正直あまりの痛みに立っていられないことも多く、しかし寝転がっても痛くてじっとしていられず、また喋るのも吐き気のために困難であることが多かった。一度外出先で発症して救急車を呼んだ時、症状が上手く伝えられなくてかなり焦った。さらに、私はもともと貧血気味で、こうした症状の前触れ的に貧血がさらに悪化して視界が見えなくなることもあった。外出中に視界が真っ白になった時は、文字通り頭の中まで真っ白になった。

 こうした症状と闘いながら毎日毎日自分のゆく先のことを考えるのは、骨が折れた。PMS(月経前症候群と言って、ホルモンバランスの乱れからくる情緒不安定や心の不調)の症状もあり、それも手伝ってか自己肯定感は下がる一方。このままどんな仕事にも就けないような気がした。市販の薬は効かず(月経困難症と診断される前のこれより軽い症状の時は効いた)、しかしLEP(医療用ピル)を飲むには勇気が必要だった。母も私も心配性なのですぐに飲もうとは決断できず、東洋医学の先生に頼ったりして食生活の改善や運動不足の解消を頑張ってもみた。それによりストレスが原因と思われる寝不足やじんましんなんかは治っていったが、やはり毎月の症状はおさまらなかった。もはや働くも学ぶもなにもしたくないと、気持ちの面でも限界がみえそうだった。

本当の気持ち。

 そんな状況でも、相変わらず人に頼ることは苦手なままだった。苦手というか下手、下手というか不器用。実の母にさえ上手く心の内をさらけ出せずにいた。しかしそうしてストレスが溜まっていくのは自分だった。いつか風船みたいに、破裂してしまうかもしれないことは想像できた。破裂ならまだ良い。自滅するだけなら。でも人に迷惑をかけるのは違う。いくら両親でも、仲が良くても、かけ過ぎるのは……。そう思っていた。そう思うと逆に言えもしなくて、だから長いこと一人で抱え込んでしまった。

 少しずつ言えるようになってきたのは最近だ。胸のなかに渦巻く複雑な気持ちの全てを上手く言葉にすることは難しかったけれど、やはり進路のことは周りの意見も聞いて決めていこうと思って、ようやく母には相談できるようになった。しかし、友達には会いたくなかった。会いたかったけれど、会って今すぐなにもかも聴いてもらいたくもあったけれど、どんなに親しい友達でも、会うことを拒み続けた。理由はわかっている。私の友達は皆んな素晴らしく夢に向かって走っていて、もう専門を卒業して働いている子や留学先で国家資格を取ろうとしている子までいる。皆んなまぶしくて、尊敬できすぎる……。そんな友達たちと再会して、たとえどんなに楽しい時間を過ごせても、今の自分では絶対に友達と自分を比べてしまうとわかっていた。自信をなくすことが目に見えていた。だから会えない。

 前の会社の仲間に対しても同じ思いがあった。それに加えて、前の会社で働く皆んなの頑張りや忙しさを知っていたから、今皆んなと同じように頑張っていない自分がそんな皆んなの大切な時間を奪う権利などどこにもない……。そんな思いが強くあった。だから誘われるならまだしも、自分からご飯に行きたいですなどと連絡することはできないと、そう思って会いたい気持ちを押し留めていた。もちろん体調のことが不安で電車に乗るのがこわかったのもあるが。

 でも本当は、そんなつまらないプライドとかわけのわからない弱気なんて捨てて、早く皆んなに会えば良かった、会いたいですと頼れば良かった。本当はそうするべきだと、私は人に会った方がきっと元気を取り戻せると、どこかではわかっていたのだと思う。そしてそれだけじゃない。私がこの空白の期間に最も苦しめられていたのは、なにより、仲間を失ったことへの失望が大きかった。"仲間" ーー。本気でそう呼び合える存在に囲まれて働き生きれるということが、どれっ……だけ稀有で幸せなことか。ましてや、引っ込み思案で人にも自分にも敏感な私は、馴染むのにかなり場所を選ぶ。それをわかっていたから、だから人生で始めてできた大きな存在である"仲間" を、そんな皆んなと一緒にいられる"第二の故郷" を失うことを、私は心底つらく思った。そしてそのつらさは、夢にも出てきてうなされるほど私を蝕んだのだった。

 ああ、早く、はやく会いたい。一刻も早く皆んなに会って、エネルギーをチャージしなくちゃ……。会って申し訳なく思うとか、後悔するとか自信をなくすとか、そんなの絶対、嬉しさには勝てないに決まってる。素直に皆んなを頼れば良い、辞める時はできなかったとしても、それなら今こそ頼れば良い。本当はわかっていたのだと思う。それでも連絡できなかった自分は、なんと惨めで頑固で、それこそ無力だったのだろう……。そんな本当の苦しみに、昨日やっとこさ向き合えたのだった。

今わかっていること。

 私は今多分、ようやく前を向き始めようとしている。今日皆んなに会えたからだ。会って驚くほど、元気をもらった。本当に元気や勇気をストレートにもらえた。久しぶりに会ったので当然、「元気だった?」「体調大丈夫?」と訊かれ、「いや、もう、元気なんてもんじゃないです。ほんっと皆んなには見せられないくらい、体調も気持ちも落ち込んで醜態で」「だから元気になりに来ました」と答える。でもそう言いながら、もう既に元気になりつつあって。

 皆んなのパワーは偉大だった。直属の上司だけにはnoteを始めたことを伝えていたが、いつの間にか皆んなにコンテストで賞をもらったことまで広まっていて、照れこそばゆくも、自分のいないところで自分を話題にしてくれていたことが嬉しかった。すると立て続けに、「ちょもらんまが会社にいた頃にしてくれた話、新しく入ってきたメンバーにもしててよぉ、そしたらメンバーの調子良くなってさ!」とか言って喜ばせてくれる仲間がいて、私は本当に泣きそうになった。(泣き虫だけど、めちゃめちゃ堪えた。私にしてはそれはすごくえらかった。笑)私がいなくなってからも、微力でも、なにか力になれているのなら。その気づきは、私の自信を掻き立てた。

 そっかぁ……。私は会社を辞めてから、自分からこの仕事をとったらなにも残らない、私にはもうなんの価値もないと本気で思った。とてもやりがいのある仕事(ファンドレイザーというお仕事)であっただけに、その仕事をすることが自分のすべてであるかのように思い込んでいた。だから自信を失くしたし、そのうちに会社にいた頃の自分も否定するようになって、一年しかいられなかった私に残せたものなんてなにもない、(なにかを残せるとかその思い自体烏滸がましいのかもしれないけれど)自分だけ、きっとなんの役にも立てていなかったんだと思うようになっていた。違う、私の仲間はそんなことを思う人たちじゃない。いくらそう思っても、自分で自分のことを肯定してあげることはできなかった。そんな呪縛から、ようやく解き放たれたのだ。すべては皆んながくれる言葉の、愛の、おかげだった。

 "仲間って、こんなに偉大だったんだ。" わかっていたはずの、だからこそ苦しめられもしたはずのことを、改めて、より強く実感させられたのが今日だった。まったく、自分はなんて考え違いを……、私はなんてひどく、自分を見失っていたんだろう。皆んながいて、私がいる。今一緒に息をして、こうして乾杯をして笑い合えていることは、それだけで奇跡じゃないか。かけがえのない、幸せじゃないか。私は前の会社を辞めてただ皆んなに迷惑をかけただけだと、こんなにも落ちぶれて変わってしまったと思っていたけれど、たった一年の間でも私が頑張ってシェアしてきたことは皆んなにちゃんと引き継がれていて、落ちぶれたと思ってそのことに投げやりになろうとしているならその弱気こそ自分の落ち度で、こうして皆んなと会って騒げば、私はなにひとつ芯の部分は変わっていないということを、皆んなが証明してくれる。

 相変わらずネジが何本か抜けていて、ポンコツのくせに頑固で自分を曲げようとせず、世界の平和を心から願って、絶対に自分の納得のいく貢献をしたいという気持ちは誰に勝るとも劣らない。つもりだ。でもどこかふわふわと宙に浮いているようで心配もある……。(良くも悪くも)変わってない、そう言って仲間は笑ってくれた。そう、仲間が言うんだから、これが私、今の私。そんな今の私には、皆んなと一緒に働ける理想の健康状態も、貯金も鋼のメンタルもないけれど、でも、離れていたって仲間は仲間。それが今、一番身に染みてわかっていることだ。失ったわけじゃなかった。これからは、どうしようもないさみしさや不安に押し潰されそうになった時は、自分から皆んなに連絡しよう……。皆んなは前に進みながらも、ちゃんと私の大切な仲間でいてくれてる。こうして会えば自分が思っている以上に、時間などすぐに飛び越えてしまえるのだ。

皆んなへ、明日の自分へ

 お開き前の仲間の言葉が、最後に私の背中を押してくれた。「ちょもらんま、戻ってこないのって皆んな言ってるよ。いつでも待ってるよ。大丈夫、俺たちはずーっといるから」。第二の故郷から響き渡る、なんて力強い言葉だろう。"いつでも帰ってこれる場所がある。" ……そうか。だから今は、自分にできることを探して、皆んなへの罪悪感を引きずるんじゃなく、今日見た仲間の充実した笑顔を糧に、歩いてゆけば良いんだ。今日みたいに大事なことを一つ一つ、ポケットに拾い集めながら。決めた!私、物語を書く。書いてみる、書いてみたいことに挑戦してみる。いつか皆んなに自信をもって、読んでほしいと差し出せるような。そんな、自分を思いきり詰め込んだような物語が書けたら良いな……。


 帰宅後、手も足もくたくたになって倒れ込んだベッドの上で、私は今、これを書いている。最初に決意したように、書きたいこと、今まで整理できずに書けなかったことを、正直に全部書けた。やっと一回大きな深呼吸ができたみたいだ。あ、そうだ、もう一つ。月経困難症に関しても、ようやくLEPを飲んでみることにした。止めたくなったら止めればいいと、きちんと自分の意思を大切にしようと思いながら。……酔いも手伝い、体の怠さはMAXだけど、私は今少し元気だ。昨日までの、空白の期間の私より。皆んな、私も少しずつ自分を取り戻して頑張るよ……!皆んなからパワーをもらったからね💪。ああ、今なら、皆んなからもらった沢山の愛で、この地球だって救えそうだ。皆んなありがとう。次は私が、救う番だねーー。

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