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小説の味、カツ丼

 この間、お店でカツ丼を食べた。

 カツ丼といえば、しっかり重たいものを食べてお腹を満たしたい時の、いわゆるガッツリ系の代名詞だ。丼ものというだけでもガッツリなのに、さらにカツに卵とくれば、それはもうガッツリではおさまらなくてドッシリだ。ドッシリ系の代名詞と呼びたい。

 おいしいものには目がない私なので、カツ丼なんて育ち盛りの野球部員であれば毎日食べたいくらいであるが、一応現在では二十代の女の子なので、そう頻繁に食べるわけではない。前回食べたのはいつだったか、思い出せないくらい久々のカツ丼だった。

 似ているものに親子丼があるが、正直親子丼は私の中ではガッツリではない。もちろん同じくらいおいしくて大好きだけれど、親子丼はそこまで背徳感の味ではない。カツ丼を食べていない間にも、3回くらいは食べた記憶がある。女子でも割と気軽に食べられる、それはそれで素晴らしい魅力であるのが親子丼だろう。


 久しぶりに、なぜカツ丼を食べたくなったか。その理由はいかにも単純である。他ならぬ小説『キッチン』を読み返したからである。吉本ばななさんの、デビュー作にして代表作。あの名著を読んでカツ丼を食べたいと思わずにいられる人がいるのか。いや、いるはずがない。

 読みながら匂いを想像し記憶の中での味を咀嚼したのだが、読み終わったら "嗚呼もう食べたい、今すぐ食べたい"。本を閉じたソファの上で心からそう思ったのだが、すぐに食べに行けるようなお店がない。少なくとも私の家から徒歩や自転車で行ける距離には、カツ丼をおいている且つ女子一人で文庫本片手に気安く入れるお店はなかった。カツだけに。まあそんなお店が近くにあれば、とっくに通っていただろう。

 一人で電車に揺られてまで食べに行けるほどお財布の紐を緩められる余裕も今はなかったので、仕方なし、巡り合うまでお預けかと思われた。ところが先日、母と二人でおばあちゃんに会いに出かけた時、たまたま今日は外食にしようかという話になった。おばあちゃん家からほど近くに、和食レストラン「さと」がある。おばあちゃんはお寿司が大好き、当然ながら「さと」も大好き。こうして私は運良くさとで、カツ丼を食べられることになったのだった。


 ◯


 一応ひと通りメニューに目を通したが、うん、やはりその時カツ丼以上に食べたいものはなかった。迷わず注文、赤だし付きで嬉しい。おばあちゃんも迷わずお寿司が食べられる御膳を、母は少し迷った末、海鮮丼を頼んだ。予約して行ったのでお座敷席で、おかげで家族だけの空間に切り取られていた。周囲のお客さんの目がない分ちょっとラクにできて、子どもみたいにわくわく待った。

 そして、運ばれてきたカツ丼。物語の中で、二人の心を繋いだカツ丼。「家族」というワードを含んだ雄一の言葉が忘れられない。みかげの言い分も好きだ。ああ、蘇る小説の世界。密かに思い出し、余韻に浸りながら食べるカツ丼の味は、今まで食べた中で一番甘い感じがした。母とおばあちゃんの会話に静かに耳を傾けながら、一人にこにこと口に運んだ。

 あぁ〜やっぱり好き!カッツ丼!。思わずちっちゃい「ッ」が入ってしまうほどそう思った。二人を繋ぐものとしてばななさんが選んだカツ丼は、おいしかった。ばななさんがこの料理を選んだ理由が、なんとなくわかる。カツ丼って、欲望の象徴でもあるし、あたたかい空気の象徴でもある。カツ丼によく合う「あたたかいうちに」って、なんとあたたかい言葉だ、と思う。


 カリッ、ザクザクッと、気持ちのよい音がするきつね色の衣、ほどよい厚みと脂身があってジュウシーなお肉。完全な脇役に徹さずちゃんと私もいるわよと主張してくる微笑ましい卵と、こちらは陰で支える甘くて甘すぎない旨味凝縮のタレ。卵のおふとんのおかげもあってタレが浸みすぎていなくて、舌の上でふっくらとカツを抱きとめてくれるお米……。

 …………!

 以上、おいしさ確定である。さとのカツ丼はおいしかった。ネギがのっているのも良かった。そこに小説の妙味も加わって、タレの甘さに男女の甘さ、思い出の味……。『キッチン』も、カツ丼も、手放せない逸品である。どちらも心の奥深くまで沁みて、お腹の底から元気が湧き出てくること請け合いだ。


 カツ丼、また食べに行こう。おいしいカツ丼をリサーチしたい。『キッチン』もまた、読み返そう。何度読み返しても、味わい深い小説だ。


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最後まで読んで下さり、ありがとうございました
(^.^)🌼🌙

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