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村上春樹「1Q84」について感想とご意見をお願いします!

相互フォローさせていただいている奈星なせさんのstand.fmを聞かせていただいて、古い記憶が蘇りました。

村上春樹氏の「1Q84」の感想を語っておられ、それを聞いて思った事は、この小説の良さを理解するには、私の感性アンテナが作動していないのかもしれません。

私のコメントに対して以下のような返信をいただきました。

村上作品は「良し悪し」は考えても答えはなく、「好き嫌い」だけ感じるべき作品

上記記事コメント欄より

要するに答えのない作品が好きか嫌いか…
ちゃんとした答えを求めて考えるのではなく、感じるだけで、理屈は要らないのなら、ただ単に私には合わないのでしょう。

いまさらですが、この機会に私の率直な感想を書かせていただき、皆さんのご意見を承りたいと願っています。


最初に言っておきますが、

ハルキストの皆様、申し訳ございません。
私は只今から村上春樹氏の「1Q84」の素直な感想を書かせていただきますが、それはもしかしたら「批判」に聞こえるかもしれません。
それを不快と思われる方は、どうぞこのままスルーしてください。


ただ個人的な一意見として受け止めてくださる方のみ読み進めてくださるようお願いします。

※ネタバレはほぼありません



〈BOOK1〉
美しい情景描写に惹きこまれる

食わず嫌いだった作家

それまで有名作家でありながら、まったく読もうとしなかったのは、好いた腫れたの恋愛小説というジャンルが苦手だったからです。

しかし、いくら恋愛ものであっても、その展開次第で幅広い要素が絡んでくるようなものなら、面白く読めるのですが、単純な一本路線ものはつまらない。

もちろん、1987年に発表された「ノルウェイの森」が高評価なのも知っています。

しかし、私の読書好きの友人は、
「わけわからんで~💦」という感想だったので、読むことなく時は流れてゆきました。

そうこうしているうちに、「ノーベル文学賞候補」と騒がれ始めて、なにかとニュースで取りあげられるのを見て、日増しに興味が湧いてきたのです。

そしてついに彼の作品に手を出します。


一大決起で読み始める

私が読んだのは。もう10年以上も前でしょうか?

2009年に発表されて大ベストセラーとなりました。
当時、あまりにも話題になっていましたが強い興味は持てず、数年後にブラッと図書館に行ってみると、なぜか目につき、思い出したように手に取りました。

読み始めて、驚きました。

情景描写が美しい!

こんなにも日本語を美しく使った文章表現に確かな筆力は感じました。

冒頭の1巻はとにかくその美しい詩的表現に加えて、摩訶不思議な現象が繰り広げられ、いったいこれはどの方向に向かうのか、大きな期待を寄せてしまうものがありました。

ですから、一言一句の言葉たちは、最後には必ず生きてくるはずだと信じ、読み漏らすまいとしっかり読み進めていきました。


〈BOOK2〉
まだ話の方向が見えない

ワクワクしながら2巻目のBOOK2を読み始め、中盤に差し掛かったころ、一抹の不安が過り始めます。

この話、最後はどう落とし前をつけるのだろう?

とにかく次々に伏線がばら撒かれて、いっこうに話が転じず、散らかし放題の伏線が、回収に向けての展開が微塵もみられない。

とうとう2巻を読み終えて、すでに心配しかなく、これだけの不思議な現象をまさかこのまま散らかし放題で終わるつもりか?

間違っても、
超能力だとか、魔法だとか、

そんな類で片付けられたら、怒り爆発するかもしれないと不安はマックスに達したのです。


〈BOOK3〉
結局はただのナルシスト小説?

読者は置きざり??

とはいえ、2巻まで読了して最後の一冊を読まないわけにはいきません。
気を取りなおして次も読んでみたのです。

しかし。。。

結局は何ひとつ謎の解明はされませんでした。

いったいこれは、
ファンタジーなのか?
SFなのか?
宗教哲学モノか?

どのカテゴリーになるのだろう??
私にはただの恋愛ものだったのかという感は否めない。

大掛かりな紆余曲折のあげく、結局はそこに落ちつくのか!!と愕然としたのです。

確かにBOOK2を読んでるあたりから、いや~な予感はしていて、心は離れ始めてはいたのですが、いくらなんでもこれだけの伏線があるのだから、とんでもない結末はあるはずだと、信じていたことがバカバカしくなりました。

要するに、読者が喉から手が出るほど欲しいものを最後まで与えてくれず、放り出された感じです。


自己陶酔しただけ?

全体的に詩的な美しい描写ではあるものの、くどい表現も多く、性的な描写もエロさを感じてしまうほどの執拗さがあります。

しかし、それらも全てが最後に結びつくはずだと、一言一句逃さず読んだにもかかわらず、何一つ意味を成さなかったのです。

いったいどうしたかったのだろう??

結局、読者目線ではなく、作者自身が自分の表現に酔いしれて書かれたナルシスト丸出しの小説だと感じました。


最大の謎はリトルピープル

この小説のキーパーソンだと言えるものに「リトルピープル」の存在があります。

これもまた、ご多分に漏れず謎のまま終わるのです。

いちいち登場するこのキャラクターともいうべき不明者はいったい何なのか?

ストーリー全体が現実から離れた異次元的な世界感なだけに、これは何を意味するものか、ずっと引っかかっていました。

私的な解釈をすると、
不安や怯え、猜疑心などの自分の心を投影させた媒体なのかと思いながら読み進めましたが、それもイマイチしっくり結びつかない。

この小説における疑問をまとめると以下の通りです。

1、執拗な描写は必要だったのか?
2、なぜ伏線は散らかし放題なのか?
3、リトルピープルとは何を表すのか?



純文学の定義

大衆小説に対して「娯楽性」よりも「芸術性」に重きを置いている小説を総称する

Wikipedia

最後に補足として、「純文学」についてあらためて調べてみると、芸術性に富んだ作品を指すらしい。

その定義でいうと村上氏の作品は、確かに「純文学」に該当するかもしれない。

私はたくさんの純文学作品を読み漁ったわけではありませんが、それでも数少ない読了文献の中には、有名作品もあります。

例えば夏目漱石の「こころ」や太宰治の「人間失格」には、ストーリーのヤマ場に大きな衝撃があり、読み手の心を大きく揺さぶります。

文章は秀逸なだけではなく、後には大きな意味を持つものになるのです。

谷崎潤一郎の「細雪」に至っては、華やかな船場の商家の雰囲気だけでなく、各登場人物の気持ちを、巧みに描写した文章で表現され、うっとりとした世界観でありながら、最後が驚くほど空虚だったのには驚いたことがありました。

芸術描写に優れているものを純文学というのなら、私は単に「純文学」は苦手なのかもしれない。

文学に一般小説のような意味を求めてはいけないのでしょう。


たとえ純文学であっても、美しい描写もありながらも、起承転結があり、どんな些細な文も、作品全体の中で必ず意味を持つものであるべきだと思うのです。


◇◇◇

要するに、「1Q84」は読み手に伝えるための小説ではなく、作者が独り歩きした小説であり、世界観のみを美しく描写した中身のないものだと思えるのです。

中身がないのであれば、冒頭の奈星さんが言われた通り、そこにオチを求めるのではなく、その美しく描写された世界が、ただ単に好きか嫌いかだけでいいのでしょう。

奈星さん、勝手に引用させていただき申し訳ありません。
そして、この小説に関して意見を募るきっかけを下さり感謝いたします。


【7月18日追記】
奈星さんがこの記事に対してアンサー記事を書いてくださいました。
良かったら覗いてみてくださいね。




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