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「お返し」の是非を考える

是非!だなんて、まるで「プレバト」の夏井先生みたいな言葉ですが、noteでのコメントやスキの「お返し」に関して思うところを書いてみたいと思います。

コメントやスキは決して強制ではありません。
自分の意志でするものなので、必要か不要かはそれぞれの持つ感覚によるものです。

そもそも、スキは気軽に出来るけど、その意味にはいろいろあります。
コメントは積極的にする人とほとんどしない人と両極端に分かれます。

確かにコメントはスキに比べるとハードルは高いですよね。
「する」「しない」の理由は記事内容によるところもありますが、基本は各個人の取り組み方にもよるようです。

さらに自分の記事にコメントやスキをいただいたら、そのお返しをするかしないか?
これもまたそれぞれ千差万別です。

実際、noteの取り組み方に関しては、私も過去に何度も記事にしていて、今回も重複する箇所もあります。

なぜ何度も記事にしているかというと、相変わらずnote界から退場する方がおられるからです。

皆それぞれがnoteを楽しく続けていくには、やはり時々、確認し合う事は必要だと痛感しています。



コメントする本当の目的とは

shogoさんの記事で実に興味深いものがありました。
コメントで”人柄”を知る事ができるというもので、確かにコメントには性格が如実に現れるものです。

記事内容だけで、ある程度はその方の人柄を伺い知る事はできますが、コメント欄を読んでみると、さらに詳しく知る事ができます。

コメントは

いい意味で自分をさらけ出せる
コミュニティの場だと思っています。


とはいえコメント欄は記事と同じようにWeb上に公開されているわけですから、自分という人間をアピールする場であり、気軽にできるものではありますが、同時に自分の人間性が最も現れるものだという事は認識すべきでしょう。


では、私はどんな時にコメントをするのか?
自分の胸に手を当てて考えてみると、概ね以下のような事が挙げれます。


交流したい

まだ相互フォローの関係ではない、あるいは初めて出会ったnoterさんの場合、コメントには特に慎重を要します。

しかし、記事内容から滲み出た人間性に惹かれた時、その人と交流を深めたいという意志を表すにはとても効果的なものです。

まずはコメントしてみないと交流ははじまらず、そのやり取り次第で、長く続くお付き合いに発展する可能性も秘めているのです。


共感した

人にはそれぞれ、喜怒哀楽があり、それらの感情の琴線に触れるような内容に出会ったときは、コメントせずにはいられません。

逆に言うと、人の感情を刺激できるほどの記事に対しては、読ませていただくだけでラッキーだと思えるのです。

たとえ薄い記事であろうと、とても簡潔にストレートに響くものもあれば、長文でありながら、それを感じさせないほど惹きつける文章であるなど、それぞれに個性を発揮されているのは素晴らしい事だと思います。


歩み寄る

誰しも得意分野はあり、全ての事に精通しているわけではありません。

noteを始めてみてまず感じた事は、ここには専門分野に長けた人が多いという事でした。
これも何度も書いていますがnoterさんたちは、
「恐るべき素人軍団」なのです。

過去に他のブログも経験していますが、noteがもっとも反響は多く、手応えを感じるのが正直なところです。

noterさんたちの記事は、上手くまとめられているものが多いため、たとえ知らないジャンルの記事であっても、柔軟に寄り添って理解に努めてみると、意外と世界は広がると実感もしているのです。

頑なにシャットアウトするのではなく、一歩踏み込んでみると結局は自分のアイテムが追加され、知識の幅が広がりプラス要素になるのを実感すると、まずは最初の第一歩は歩み寄る姿勢であると痛感しています。

ただし、いくらこちらが歩み寄っても、お相手に交流の意志がなければ続きませんが…



自分軸はブレてはいけない

何度も書いていますが、くれぐれも意見と否定は違います。

コメントはWeb公開の上、自分をアピールする場であるにもかかわらず、マウントを取ったり、記事内容を否定したものをわざわざコメント欄に残す気持ちが私は理解できません。

それでも自分の意図に反したコメントを受けた時の対応こそが、最も大事なのです。

そんな時こそ、常にnote(SNS)に対する自分自身のスタンツを忘れないような対応は必要で、ブレない意志表示はすべきではないでしょうか?

コメントの返信にこそ、自分の”人柄”が出るものであり、たとえ中傷コメントであっても真摯な対応は心掛けるべきだと思うのです。

本日のshogoさんの記事もコメントに関して、とても参考になる重要な事が書かれていました。ぜひお読みくださいね。



「お返し」はする?しない?

スキ返しの意味

スキとは交流へと繋がる大事なキッカケです。
せっかくスキをくれているのだから、基本的にはスキ返しはすべきで、普通に考えても、好意を受け取ったなら返すのは当たり前だと思います。

スキ返しは、「来てくれてありがとう」の意味と、交流しようという意志表示でもあると捉えています。


お返しの最優先はコメント、
次はスキをくれた人の記事


1,コメントをくれた方
2,スキをくれた方
3,noteトップページ
これは私がnote記事を散策する優先順位です。

正直2までで、相当な時間を要するので、3までいける事は少ないため、どうしてもフォロワーさん全員の記事を回ることはできません。
私にとって限られた時間を出来るだけ有効に使うにはこれがベストなのです。

お返しではなくてもタイミングが合えば、いくらでもスキはしますが、基本的にスキをくださったことに感謝の気持ちを示すのを優先しています。



コメントもスキもお返しは
間違いなく「是」

投稿間隔の差を超える信頼関係

自分が投稿していない日でも、読みたい人の記事は検索してでもお伺いするのは、すでに確固たる信頼関係が築けているからです。

・必ずスキをくれる。
・コメントをくれる。
・交流がある程度の期間持続している。

これらが主な信頼の証しなのです。

しかし、投稿間隔もまた人それぞれで、週1や月1など、それぞれ自分に合ったパターンがあり、私はだいたい週2の投稿ですので、どうしても毎日投稿の方の記事を見逃してしまう事はあります。


私が毎日投稿できない理由のひとつに、スキやコメントをいただいた方には、丁寧に返したいという思いがあるため、総合的に必要な時間が多くなるからです。

自分の記事作成よりもむしろ交流を優先しているのです。

とはいえ、どんなに忙しい日でも、隙間時間でスマホでのnote散策は欠かしません。
言いかえれば、スキやコメントはその意志さえあれば出来る事なのです。

実際に良い交流を維持し続けて、信頼関係を築けている方々もいれば、まったくお返しのない方々は交流する意志がないのは明白で、疎遠になるのは仕方のない事です。



交流しないのなら
公開する意味はないのでは?

noteを含めたネット上のSNSに、自分の記事を公開するというのは、そもそも交流したいという事ではないしょうか?

何かを販売して利益を得たい。
自分の思いを知って欲しい。
自分のおススメを広めたい。

最終目的は色々ありますが、これらは全ては、まず「交流」がないと始まらない。

例えば、ご自分のコメント欄は閉じられているけど、それでも何か感じる事があれば、他の記事でコメントして交流されている方もおられます。

それもまた前向きな交流姿勢ですよね。

いやいや。私は交流なんてしたくない。
という考えの方は公開しないで、ご自分だけのメモに書き連ねて保護するか、PCやスマホ内にだけで保存すべきかと思うのです。

ネット公開するとはどういうことなのか、今一度、SNSの原点を考えてみるのも必要ではないでしょうか。



スキとコメントの違いとは

最後にスキとコメントとは大きく違うという事をお伝えします。

スキは確かに交流に発展するキッカケになります。
しかしスキは記事をちゃんと読んでいなくてもできますが、コメントとなると記事内容を読んで理解し、本筋を捉えていないとできません。

コメントはちゃんと寄り添わないとできないのです。

なぜなら、コメントは対話であり、対話する事でお互いを解り合えることがあります。
それこそ人間味が現れるものであり、同時に自然と自分をアピールする事にも繋がってくるのです。

「お返し」も、
スキは必ずできますが、コメントは記事内容によってはできない事もあります。


とはいえ、私は難しく考えたことは一度もありません。

ましてやフォロワー数やビュー数、スキ数などダッシュボードの数字など普段はまったく気にせず、目の前の人に共感して大切なお付き合いを心掛けているだけです。


ただ言える事は、SNSに参加して公開している以上、交流が生まれるのは自然の事であり、そして良い形で維持するにはスキやコメントのお返しは必要だと考えます。


私の頭の中のイメージ



    




※この記事はちょうど下書きにしていたnoteネタに加筆修正してチェーンナーさんの企画に便乗させていただきました。
ちょっと主題から逸れましたが、ご容赦下さいね。



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