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相思相愛のnoterさんだけでいい

noteを始めて、そろそろ10ヵ月が経とうとしています。
この間には実に様々なnoterさんに出会い、いろいろな文章を拝読させていただきました。

最近では、noteに対する私の考え方も変化してきているのを感じています。

そんな中、noteへの取り組み姿勢を考えさせられる記事に出会いましたので、共有させていただきます。

いつもより長文になりましたが、お付き合いいたただけたら嬉しいです。



少数だけど、
共感できない人もいる


◇ももまろ さん

ももまろさんのエッセイは「本音」に共感できるから、いつも気持ちがいいです。

コメントをいただくのはとても嬉しいし、また励みにもなります。
ももまろさんは「イチャモン」と「意見」は大きく違うと言われ、「イチャモン」は交流ではないとも結論付けされているのです。
私も多いに共感しました。
そうです!「イチャモン」をコメントするぐらいなら、自分で正論だという素晴らしい記事を書けばいい。

さらにこれは私の意見ですが、以下のコメントもどうかと思うのです。
①聞いてもいないのに自分の経歴を語る。
②特定の人に対しての誹謗中傷。
③まったく投稿記事に関係のない内容。
④自分の考えを押し付ける。
⑤自分の宣伝しかしない。

誠意あるご意見は本当にありがたいでものす。
また、お互いに人間同士ですので、ただの「イチャモン」か「ご意見」かは、伝わるものです。
もし、意図に反した伝わり方をしたら、共感し合えないというはっきりした答えが見つかり、それも大きな気付きのひとつだと前向きに捉える必要があります。



◇camyu さん

『偉い』というのは他者が決めることという一言に、思わず「その通り!」と心中で言ってしまいました。
会社の中には、適切な指導もせずに部下をののしる勘違い上司を例に挙げられ、年齢や役職に関係なく、人には優劣はないと言われています。
自分の偉いアピールをする前に、まずはやるべき事を考えて欲しいものです。

前述の、
①聞いてもいないのに自分の経歴を語る。
これなどは典型で、他所様のコメント欄にわざわざ書き込む事ではないのでは?
自慢したいのはわかりますが、かえって逆効果であることがわからないのはイタ過ぎると感じています。
書きたいのであれば、ご自分のプロフィール欄か投稿記事にすべきで、他所様の所で語るべきものではないと思います。

『勝手に偉くならないでね』まさしくこの一言に尽きます。
基本的に偉い人はいない。
ですから自分の方が偉いのだという認識は、不要なのです。



◇砂川 さん

てんてんさんが初めてスキをもらって感動されている記事を読まれて、ご自身も初心に返り、スキの重みを改めて考察されています。
スキは簡単に付けられるだけに、その重みも考えるべきなのです。

スキ返しを期待して、内容も見ずにスキしていませんか?
そして、その内容が共感できないものだったらどうしますか?

前述の内容とリンクするのですが、例えば、
特定の人の誹謗中傷だったり、
差別や偏見の内容だったりした場合、
自分がスキする事によって、それらの意見に同意した事になってしまいます。
実は私も読まずにスキしていた記事があり、砂川さんにご指摘いただいて、後になって大いに反省した事があります。
それ以後、必ず記事には目を通すようになり、基本を教えていただいた事に深く感謝しております。

この記事でアイヌ語で家を「チセ」と言うことを知り、偶然にも自分の名と同じ読みである事が、ちょっと誇らしくなりました。
私も及ばずながら、快適な「家」でありたいと願うばかりです。



◇上達の探求 さん

形の上では相互フォローであっても、まったくこちらと交流しようという意志が見られない方をフォロー外しする基準を詳細に説明されています。
これに私は大いに共感できました。
「ブロック」に関しても触れられています。
私も過去お二人の方をブロックした事がありますが、それはよほどの事なのです。
精神的に衝撃を受けたほど理解し難い方々でした。

確かに私も、noteを始めて間のない頃は、無条件にフォローされたらこちらもフォローしなくてはいけないと思い込んでいました。
そうすると、フォローしただけで、その後はまったく交流のない方や
中には、記事を一つも読まずに、いきなりフォローしてくる方もおられます。
単にフォローバックだけを期待しているのが見え見えで、そこには最初から交流して共感しようという気持ちは感じられません。

フォローする基準が、単にフォローバックではおかしいと気付きました。

誰もかれもフォローしていると、本当に読みたいクリエイターさんの記事が見つからないという現象に陥ります。
反省した私は、フォローした方々を定期的に見直し、スキ返しすらしてくれない交流の無い方を中心に外して、本当に自分にとって必要なnoterさんを厳選しています。
まさしく「上達の探求」さんの言われる通りの事を実践していたので驚きました。
6000文字の長文ですが、内容に惹き込まれますので苦もなく読めますよ。

私にとって「フォロー外し」となる最重要ポイントは、
お互いに交流する意志があるかどうかなのです。



フォローバックではなく、
認め合う相互フォロー


フォローする時にはまず精査する

フォロー外しは、後々、気分を害されたり、手間もかかります。
最初にフォローする時点で、少し慎重に様子を見るようになりました。

そのnoterさんが、
どのようなテーマで、
どのような事に関心があり、
どのようなポリシーをもつか?

これらを見ずにフォローしてしまっては、結局は前述の通り、記事内容を把握しないまま、軽いスキしか押さなくなります。
やはり自分が、この方の記事をこれからも読みたいし、その方を応援したいと思えるnoterさんをフォローすべきだと思います。
たとえフォローバックされなくても、自分の気持ちに正直になろうと思ったのです。


読める量のボーダーライン


たくさんの人をフォローして、その方々の記事を読めますか?

毎日とは言いません。
自分が投稿する日だけに限ったとしても、読むことができますか?

あるいは、数回に分けて数日かけて一巡りしてもいいですが、ある程度の記事内容を把握できていますか?

タイムラインに表示される記事数は限られています。
個人差はあるとは思いますが、これ以上増えたら読めないというボーダーラインは誰しもあると思うのです。

フォローするのは、自分の限界を考慮したボーダーラインを守るべきではないかと思います。


一目惚れか、ジワジワ惚れるか

素晴らしい記事に出会ったら、その方の他の記事も読み、記事傾向を把握して、共感できると思えば、迷わず私の方からフォローします。
もちろんフォローバックは期待していません。

逆に何度かのコメントのやり取りの中で、心地良さを感じるなら、それだけでも今後の交流に繋がるはずです。

結婚まで到達する恋愛のように、「一目惚れ」か「ジワジワ惚れ」かの違いはあっても、相互フォロー後はじっくり大切にお付き合いをしたいのです。


片思いでも好きなら仕方がない

いくらweb上のお付き合いとはいえ、人間同士なのですから、交流の中で芽生える感情はとても大切なものだと思います。

同時に自分が受け入れられていると感じる事ができたら、これほど嬉しい事はありません。

私の中の相互フォローとは、お互いの良さを認め合い、切磋琢磨できるような「相思相愛」の関係です。

一方的にフォローしている片思い状態も、コメントやスキから交流が始まり、相互フォローに至ることもあります。

一目惚れか片思いかは単なるキッカケであって、そこからの交流次第で、相思相愛になれるのが理想なのです。

とはいえ、いくらこちらがスキやコメントをしても、無視されて交流が生まれない方は、仕方がない。
追いかけるだけの恋愛は所詮、長続きしないものです。

「ご縁」がなかったと諦めるしかありません。


これらの事から、結果的に相互フォローのnoterさんとは、相思相愛となるのが自然の成り行きではないでしょうか。



⇩過去記事の関連記事のスキ数ベスト3です。⇩




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