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「私にとって誕生日は、産んでくれた母に感謝をする日でした」――元夜間中学校教諭・松崎運之助

◆3分で読める『致知』の感動する話
「私にとって誕生日は、 産んでくれた母に感謝をする日でした」
【元夜間中学校教諭・松崎運之助さん】

年齢、国籍、職業、生活環境などまったく異なる境遇にある子どもたちを、一つの教室で指導されてこられた元夜間中学校教諭の松崎運之助さん。山田洋次監督の映画『学校』のモデルになったことでも有名でいらっしゃいます。松崎さんの原点となった幼き日のお母様とのエピソードを紹介させていただきます。

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私は両親が満州から引き揚げてくる
混乱のなかで生まれました。
小さかった兄は、
私が母のお腹にいる時、
逃避行を続ける最中で
息絶えたといいます。

失意のどん底に叩きつけられた母は、 
泣き明かした後、

「いま息づいているこの命だけは
 何があっても産み出そう」

と誓い、私を産んでくれたのです。

私は誕生日が来る度に、
母からこの話を聞かせられました。

「あんたが生まれたのは
 こういうところで、
 その時、小さな子どもたちが
 たくさん死んでいった。

 その子たちは
 おやつも口にしたことがない、
 おもちゃを手にしたことも
 ないんだよ。
 
 あんたはその子たちのお余りを
 もらって、
 やっと生き延びられたんだ。
 あんたの命の後ろには、
 無念の思いで死んでいった人たちの
 たくさんの命が繋がっている。

 そのことは決して忘れちゃ
 いけないのよ」

私は生まれてこのかた、
母に誕生日プレゼントをもらった
ことはなかったし、
欲しいと思ったこともありません。
 
私にとって誕生日は、
産んでくれた母に
感謝をする日でした。

 
一家は長崎へ移り住みましたが、
結局父親は外に女をつくり、
母とは離婚。
父は家を売り払って、
そのお金を元手に女の人と
新しい生活を始めました。

無一文になった母は、
小さな子ども3人を抱え、
市内を流れるどぶ川の岸辺にある、
吹けば飛ぶようなバラックに
移り住みました。

すぐにお金が必要ですから、
母は男の人に交じって
なれない力仕事を始めました。
疲れて帰ってくるので、
すぐに横になって寝てしまう。

それが子ども心に
どれだけ寂しかったことか。
一日中帰りを待ちわびて、
話したいこと、聞いてもらいたい
ことが山ほどある。
弟や妹は保育園で覚えた歌や踊りを
見てもらいたいのです。

そこで私は考えました。
弟と妹の手を握り締め、
橋の上で母の帰りを
待つことにしたのです。

やがて橋の向こうから
小さな母が姿を現すと、
3人は歓声を上げて
転がるように走っていきました。
 
あのね、あのね……。

同時に喋る私たちの話を
上手に交通整理をしながら、
母はまっすぐ家には帰らず、
近くの石段を登って、
眺めのいいところへ
連れて行ってくれました。

母が真ん中に座り、
子どもたちがそれに寄り添う。
眼下に広がる長崎の夜景を見ながら、
私たちきょうだいが
ひとしきり話し終えると、
母が少しだけ自分の話を
してくれました。
 
朝早くから夜遅くまで
働いていたので、母は
ほとんど家にいませんでしたが、
心はいつも一緒でした。

物はない、金はない、
町の人や学校の先生からは臭いだの
汚いだの言われていましたが、
母と子の間には
いつも真っ青な青空が広がっていた。
 
そんな気がします。


『致知』2004年3月号特集「壁を越える」 より
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