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ゴスペル日記

23
ある歌好きの日本の少年がブラックミュージックに魅せられ、本番アメリカに渡り、黒人系教会のゴスペルシンガーを目指す物語。
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#ゴスペル

「ゴスペル日記 23」~実弾射撃~

「ゴスペル日記 23」~実弾射撃~

「ゴスペル日記 23」~実弾射撃~

日本から友達が遊びにやってきた。

彼とは「骨折つながり」
つまり私がバスケで足を折って入院していた(第10話参照)ところへ
彼はスノボードで転倒し鎖骨を折って入院してきた。
私もスノボ好きで歳も近かったことから
意気投合し退院後もちょくちょく遊びにいったりしていた。

さて、本日はその友達と射撃場に行ったときのお話。
ゴスペルは出てきません、あ

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「ゴスペル日記 21」  ~コンサートツアー中編~

「ゴスペル日記 21」 ~コンサートツアー中編~

「ゴスペル日記 21」 ~コンサートツアー中編~

ホテルに着くとみんなまずは腹ごしらえに出かけることになった。

クワイヤのメンバーは30人いるが、
男女関係なく、みんな身体が私よりかなり大きい。

だからローブ(ゴスペルのみんなが着てる服)がとっても映える。
それが羨ましかった。
私が着るといつもとじたパラソルのようで残念である笑

だから、
食事となるとみんなソートー食べるとお思いでしょ?

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「ゴスペル日記 20」 ~コンサートツアー前編~

「ゴスペル日記 20」 ~コンサートツアー前編~

「ゴスペル日記 20」 ~コンサートツアー前編~

Jのバックが終わると今度は教会のクワイヤーのほうでコンサートツアーに行くという話が挙がってきた。

この前はLA市内だったからよかったが、どうやら今回は他州に行くようだ。

後日、ツアーの詳細をまとめた紙が配られた。

 
その中にあった言葉
カンザス州
ミズーリ州

飛行機移動である・・・。

気持ちとしてはモノスゴ~く行きたかった。
でもショ

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「ゴスペル日記 19」~R&Bバックコーラス~

「ゴスペル日記 19」~R&Bバックコーラス~

「ゴスペル日記 19」~R&Bバックコーラス~

毎週教会のクワイヤでリハ
そして日曜に歌い
週に2回大学でのゴスペルクラス
その他にR&BやSoul,Blues,Jazz等を自主トレ
生活のほとんどが音楽になりつつあったが、
空き時間を日系ラーメン屋の皿洗い&便所掃除のバイトや留学生の空港送迎のバイトに明け暮れた(当時は規制もユルかった)

そんなある日
教会でリハをしているとボブ(アメリカ生活

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「ゴスペル日記18」 ~マザーのバックコーラス~

ゴスペル日記 18 ~マザーのバックコーラス~

教会のマザー(私の師匠)の思い付きというのは、
どちらかというと彼女の歌よりもスゴかった気がする。

なんというのか、とにかく突然の行動にはいつも

「え?」

というものが多かった。

マザー 「明日の金曜空いてる?」

私 「空いています」(空いてなくても空いてると言うことにしてる)

マザー 「では12時に出発です」

私 「え!?」

いつ

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「ゴスペル日記 17」~ソウルフード~

「ゴスペル日記 17」~ソウルフード~

ゴスペル日記 17 ~ソウルフード~

毎週日曜日はゴスペルシンガー(教会ではミュージックミニスターと呼ぶ)
として、教会で歌う。
週毎にクワイヤ(ゴスペル聖歌隊)の種類が違い、歌う曲はスタンダード曲~全米のゴスペルヒット曲、そしてトラディショナル過ぎて謎な曲まで、年間約200曲と多数。

第一&第三日曜日はメインクワイヤ(キッズと年配者は含まない)

第二はヤングアダルトクワイヤ(キッズ&ティー

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「ゴスペル日記 16」~リトル東京~

「ゴスペル日記 16」~リトル東京~

ゴスペル日記 16 ~リトル東京~

あまりの貧乏生活に
ヤセ細ってブザマになった自分を鏡で見て
ヒジョーに悲しくなった。
毎日モヤシ炒めじゃな。。
自分がモヤシになっちまう
たまにはいいもん食わなきゃな

そこで行くことにしたのはダウンタウンにある

「リトル東京」

そこはまさに小さな日本である。
住んでた家の近所にも日系スーパーはあったが、
リトル東京はその比にならない。
そこには日

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「ゴスペル日記」15 ~教会~

「ゴスペル日記」15 ~教会~

ゴスペル日記 15 ~教会~

はじめて教会で歌ったのは大学でのクリスマス・コンサート明けだった。

晴れ渡った日曜の早朝
乾いた空気
見上げるパームツリーは
空の青まで突き刺さる

LAの冬はあまり寒くない。
日中はジャケットを着ていれば暖かいくらいだ。
テキトーにつけたクルマのラジオからはスムースジャズ
窓を全開でユル~く走るのはなんともいい気分だ。

赤い屋根の白い小さな教会。

そして

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「ゴスペル日記 14」〜貧乏生活~

「ゴスペル日記 14」〜貧乏生活~

ゴスペル日記 14 ~貧乏生活~

クルマをゲットと引き換えに
凄まじい貧乏生活が始まった。

題して
「1週間$10 作戦(ガゾリン代込み)」
 *2002年当時のレートは$1=約120円くらいだったかな

その名の通り1週間$10で1年間生活するのだ。
これは今までの人生で最高にケチった時期である。

家賃は払わないわけにいかないので、
それ以外は徹底的に節制した。

クルマで移動

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「ゴスペル日記 13」 ~夢と現実~

「ゴスペル日記 13」 ~夢と現実~

ゴスペル日記 13 ~夢と現実~

アメリカ大陸が見えてきた。そしてここから本当の留学が始まる。

まず最初は住むところだが、
初渡米のときから世話になっている親友ベーシスト(後にvoicefreaksと留学プランで提携するLAの音楽学校の代表となるノリさん)の住むところに転がり込んだ。

基本はホームステイなのだがそのホストファミリーが他州に住んでいるので実質、彼と一軒家を借りているような、な

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「ゴスペル日記12」~再出発~

ゴスペル日記12~再出発~

それから数ヶ月後、私はアメリカ大使館にいた。
再び留学ビザの申請をするためだ。

最初に申請したときは大使館のほうでいろいろ事件があった?ことが原因なのか、
自分の書類に不備があったのか(←多分それ)
ビザが下りなかったため、毎回90日以内での渡米を余儀なくされたが、
今回は徹底的に揃えた。

何が何でも行かなくてはならなかったからだ。

留学ビザの申請はハッ

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「ゴスペル日記11」 ~再起動~

「ゴスペル日記11」 ~再起動~

退院後は盲目的に自分探しの旅だった。
歌う事以外に自分には何ができるのかを探さなくてはならなかった。

ある日、気が付くとなぜか寿司屋で握っていた。
こんなツラして「へい!赤貝おまち」とか言っていた。

またあるときは弁当配送で道に迷って怒られまくっていた。(天才的方向音痴です笑)
最後は焦ってすっ転んで弁当100人分道路にぶちまけてクビ。。

そうかと想えば当時のソフトネットのモモちゃん(ピンク

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「ゴスペル日記10」~挫折~

97年の初渡米以降、何かに取り憑かれたかのようにバイトに狂った。

貯金をしては98年99年と毎年のようにカレッジのスプリングとクリスマスのゴスペルコンサートに標準を合わせて3ヶ月渡米を繰り返していたが。

しかしその後、柄にもなく音楽に行き詰まる。
21歳のときである。

その頃、渡米を重ねる毎に視野が拡がり、
今まで見えなかったもの、聞こえなかったものを感じれるようになってきたまでは良かっ

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「ゴスペル日記 9」~帰り道~

「ゴスペル日記 9」~帰り道~

初渡米の帰りの飛行機の中
それまでのちっぽけな自分の人生と比較すると
ワリと壮絶だった3ヶ月を思い返す。

もちろんいいことばかりだったわけではない。
てゆーかゴスペル体験を抜きで考えれば困ったことだらけだった。

まず私は、とある音楽学校の寮(とはいっても古いアパートの一室(一応の家具は揃ってた)を借りての人生初の一人暮し。

いろいろと・・ホントにいろいろとクダラナイ小さな事件が勃発しまくった

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