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15.【読み切り】チャンス 809

読み切り恋愛短編集【れれこい】

前日譚⤵️

※読み切りですが、関連のある章には同じヘッダー画像を使用していますので、ご参考になさってください


第15話 チャンス

 恋愛ってどうやって進めるんだったかな?
久しぶり過ぎて忘れちゃったのかな?
年甲斐もなく、ってブレーキを踏んでるのかな?
私の方が年上だからって、無意識に遠慮してるのかな?
 「麻子さん、忙しいの?
いつもの部屋が空いてないから、皆んなこっちの小会議室にいるよ」
「あ、はい、直ぐに行きます。
先に食べといてください」


 働きたい気持ちも湧いてこないし、直ぐに働かなければならない理由もない。
かと言って元同僚から「3ヶ月だけ旦那の事務所を手伝って」と頼まれれば、積極的に断る理由もなかった。
 「それなのになぁ……
後1ヶ月もないと思うとこんなに寂しいんだもんなぁ」
日中の殆どの時間を営業に出ている前田さんとは、距離を詰めるきっかけが掴めないまま。
「麻子さん」と呼ばれることだけが密かな喜び。
それだって、私の名字も「前田」だってだけの理由だもんね。


 「そう言えば……」
と、前職場から黙っていなくなった松井さんのことを突然思い出した。
 麻子より1才年上の松井さんは、巻き髪にカチューシャを付けていた。
胸元のボタンを「開け過ぎ」と注意されていた。
業務を依頼すると
「いやぁん、私やったことなぁい」
と、くねくねしていた。
 そんな松井さんでも入職できたのは、彼女が小田社長の紹介だったからだ。
てっきりどこかのお店からスカウトしてきたのかと思っていたら、学生時代の同級生でゴルフ友だち。
社内でも「小田くん」「アケ(松井さんの名は明美だ)」と呼び合っていた。
聞こえないところでお願いしたいわ。


 松井さんは、部下としてはなかなかのポンコツだったけれど、優しい人だった。
仕事に淡白だったのは、休みの日に遠方に住んでいるご両親の元に通っていたからか。
 母親の認知症の症状が強く、その行動に手を焼いている父親を手伝っていた。
母親は何度も行方不明になっては警察のお世話になっていたらしい。


 「前田さん、暫くお休みをもらいたいんだけど大丈夫かしらん」
ある日、松井さんから唐突に相談を受けた。
午後には社外での契約と会議が1件ずつ予定されていたから、麻子が帰社後に面談する時間を作った。
 父親の手に負えなくなった母親を、松井さんが引き取って一緒に住むのだと言う。
母親との生活が落ち着き、通所や訪問の介護サービスに慣れてきたら、職場に復帰するつもりらしい。



 はっきり言って松井さんがいなくても職場は困らない。
仕事中に「女」を振り撒かれても、反感を買いこそすれ良いことはないし、小田社長の手前いてもらってるだけに過ぎない。
 それでも、何度も警察のお世話になっている母親を引き取るよりは違う方法を考えた方が良いのではないか、介護離職に繋がってしまうのではないか、介護職なんだからそこのところは解っているのではないか、遠方から連れて来られるお母様も、生活が一転する松井さんも辛いのではないかと説得を試みた。


 「だって私、今までお母さんにはいろいろとお世話になったもん‼︎
今度は私がお世話したいんだもん。
私なら何とかなると思ってるもん‼︎
私って楽天的なのよ」
相談と言いながら松井さんは聞く耳を持たない。
結局、翌日から無期限で休みに入ってしまった。
勤務シフトには何ら影響はないから構わないのだけれど。
 せめて月に一度は進捗と近況を連絡するように伝えていたが、松井さんから連絡が入ることは一度もなく、次月のシフト作成前に麻子から電話をかけて近況を訊く始末。
小田社長からは
「アケが迷惑かけてるみたいやねぇ」
とだけ言われが、本当に。


 初めのうち松井さんは「母親を引き取ってから、よく眠れていない」「介護サービスを拒否されて困っている」「ゴールが見えなくて焦る」と疲れた声で応答していた。
そのうち「どうせ来月も出勤しないだろう」と麻子から電話するのをやめてしまい、シフト表から松井さんの名前を削除してしまった。



 久しぶりに本社から小田社長が出張してきた。
「前田さん、毎月頑張ってるみたいやね、凄い売り上げ‼︎
体験利用者を獲得するコツを、うちの他の事業所にも教えてあげてよ」
「お陰様で。
ところで社長、松井さんって退職手続きをされたんですか」
「それがやねぇ……」


 社長が機嫌良く話してくれたのはこうだった。
 松井さんはひとり娘。
松井さんにも別れた夫との間にひとり娘がいる。
松井さんと娘のふたり暮らしの家に母親だけを連れ帰り、父親は遠方で気楽な一人暮らし。
父親は長年ひとりで認知症の母親の面倒をみてきたので、今度は父親へのご褒美時間を、というわけ。


 夢見た母•娘•孫の女三代の和やかで賑やかなな暮らしは、初日から崩れ去ってしまう。
ガラリと生活環境が変わった母親は、より一層落ち着かず、昼夜に関係なく外に出ようとする。
松井さんは家から一歩も出られなくなってしまった。
 それでも母親への恩を返したいと頑張っていたが、にっちもさっちも行かなくなり、心身ともすっかりと疲弊してしまった。
遂に「施設へ」と決心すれども直ぐに入れる施設などなく、施設探しから入所まで実に親身になって伴走してくれた男性がいらしたそうだ。


 「今ではお母さんを施設に入れてね、アケはその男性と結婚して一緒に暮らしてるんやって、幸せそうやわ。
年下でね、イケメンらしいよ。
前田さんも頑張らなね」
 まったく余計なお世話。
「小田社長、それはセクハラです」
という言葉を麻子は慌てて飲み込んだ。


 年下のイケメンはケアマネジャーなんだろうか?
それとも施設紹介業者なんだろうか?
松井さんはやっぱり胸元のボタンを開けて、巻き髪にカチューシャをして「女」を振り撒いたんだろうか?
彼には「わかんなぁい」「ひとりでできなぁい」「お願ぁい」と言ったんだろうか?
 こんなときにでも、愛だの恋だのって考えられるんだね。
そもそも松井さんと私とでは恋愛偏差値が違うんだろうね。


 母親を引き取るなんて無謀だって、私言ったよね?
認知症が進むから、一緒に暮らすのはどちらにとっても不幸だよって言ったよね?
職場に月一で連絡入れてってお願いしたよね?
復職しないなら、退職するなら一言連絡をくれても良かったんじゃないの?


 何だよ、松井さん大逆転じゃん。
ポンコツでも、女を武器にして反感を買っても、職場に挨拶しなくても、母親の介護を放り出しても、年下イケメンと結婚してるんじゃん。
ラブラブなんじゃん。
 松井さん、狡い‼︎
世の中って何て不公平にできてるんだろう。
何がチャンスになるかなんて本当に判らない。
私なんて、前田さんに気持ちを伝えられないまま離職の日を迎えてしまいそうだというのに。


 「麻子さぁん、早く来ないと皆んなお弁当を食べ終わっちゃうよ〜」
まぁいいか。
腹が減っては戦はできぬ。
残された時間は後1ヶ月足らず。
取り敢えず今は食べよう。
考えるのはそれからだ。
「はぁい、今、行きまぁす‼︎」


 確か前田さんは14時半帰社予定。
何がきっかけになるかなんて、誰にも判らないんだから、今はただ会えることを楽しみにしていよう。
 早く顔を見たいな。
話せるといいな。
笑顔だといいな。
私も笑顔でいよう。
恋愛偏差値は自分で上げる。



秋実あきざねれれ子)

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麻子、逃げるなら今だ‼︎(全25話+スピンオフ)⤵️

#66日ライラン  19日目
#ヤス_ウエダヤスシ 様⤵️

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