見出し画像

続:私の好きなこと、やりたいこと②(ミッション~何のために働くか」編)

1.これまでの経緯

 ・昨年7月の終わりに下記の記事を書いてから、7ヵ月が経った。その後自分自身が何を考えどんな行動をとってきたのか、振り返る。

・8月。緊急事態宣言が解かれ、Gotoキャンペーンも始まり、世間で「そろそろ、経済を回すためにも外へ出かけよう」という雰囲気が醸成されてきた頃、重い病気の祖母を訪ねて田舎に向かった。のんびりした山間の家で祖母、父母、親戚から昔話を聞き、ゆっくりとした時を過ごした。度々人生相談に乗ってくれる親戚のおじさんに「これからどうするの?」と聞かれた時、漠然と「いつか海外で働いてみたい」と言った。1年前にも同じ場所で同じことを言っていたなあと思い出した。

9月。コロナは小康状態。自分の働く(もはや7割はリモートだが)工場のある千葉南部へ両親を案内したり、昔から気になっていた公務員試験(都庁)に決別を告げたりした。変わらないテレワークとジョギングの毎日に気が狂いそうになった頃、賃貸アパートの更新時期の通知が来たことを契機に、引越しを決意。家探しの週末を経て、10月半ばに東京への引越しが確定。

10月。仕事の繁忙期とも重なり、慌ただしさの中、両親の力も借りて準備を進め、引越し当日を迎えた。遠距離通勤とコロナの思い出が強い千葉の街に別れを告げる。延滞していた図書館の本も謝罪とともに返却。
緊急事態宣言の中でもテイクアウトで通い、励ましあった近所のカレー屋さん。
テレワークで自宅にいるのが耐えられない日に嫌な顔せずに迎えてくれたコメダ珈琲。
孤独とストレスで気が狂いそうになる日にジョギングをした千葉公園や千葉大は名残惜しかった。慣れない転勤生活とコロナ禍を支えてくれて本当にありがたかった。

11月。引越しも仕事の繁忙期も終わり、一息つくとまた空虚な日々が訪れる。自分は会社に貢献できているのか?何のために生きているのか?とまで思い詰める日も。感染者も段々と増え始め、友達と会う約束もキャンセルとなった。工場までの長期距離運転(片道65km)は思ったよりも体力を削り、自律神経の不調もきつかった。

自分の気持ちや自律神経を何とか整えてくれたのはサウナ、腰痛を改善してくれたのは町の整体院の太陽のような明るい先生。

12月。年明けの昇格試験に向けて準備を進めた。昨年の自分より成長できているのか?自問自答ばかりして、喉から手が出るほどフィードバックが欲しく、上司に勇気を出して問いかけたりもした。
密かに昔の先輩や斜めの上司に会いモチベーションを保っていた。そんな中、12月の暮れに、まさかの異動の内々示を頂いた。
「どういうことですか?」疑問符が駆け巡った。
なぜなら、事前に人事面談等全くなく、そして異動先が、社内でも「男の職場」のイメージが強い、建設業界向けの営業だったからだ。女性が配属されるのは初めてとも聞いた。

1つ下の後輩が辞めてしまい、人手不足が発生→前の部署のつながりでお呼びがあり、一異動が決まったとのこと。全く面談がなかったので、訳が分からなかったが、今振り返ると予兆はあった(11月以降、急に重たい仕事を振られる機会が減った等)。
しかし、

「私に、、、できるんでしょうか????」

と隣の先輩へ言ってしまう程の衝撃だった。
その後は悩みに悩み年末年始を過ごした。
「必要とされるのはありがたいこと」と思う気持ちと、今の仕事を急に離れる口惜しさの両方があり、毎晩夢に見てしまった。


→長くなってしまったので、こうした紆余曲折を経て、今の自分が、何を目標に何をやっていこうと結論を出したか?本題の「2.これからの方向性」は次の記事に書いていきます!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?