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私はどこまでも果てしなく人に生かされている


本日も相変わらず、話が散らかりますが、お付き合いいただけたら、幸いです。

私は自分の人を思うこころを大切にしたい。
どんなにそれが些細なことであっても。

もちろん押し付けたりしない。
相手のことを観察・洞察し、キャッチしながら、必要に応じて、適した形と温度、距離感でそれを届けたい。
"これはあなたのためよ"なんて間違ったありがた迷惑を、たびたび渡されてきた自分なので、同じようなことは私はしたくない。
(気持ちだけはありがたい。)
一方的な誤った善意は、人にわたしたくない。

ある時はむしろ届けなくてもいい。
届かなくてもいい。
相手が望まないならばそっとじっとここで思っているだけだ。
誰に報告することもない。

でもその思いは、必ず自分への愛となって返ってくる。

そうして人はそのあたたかさに、結局自分が生かされていくと思う。
人が人を想うとき、不思議なことに、思い出したように、自分のこころの奥底からあたたかさがわき、自分自身のこころが立ち直っていくことがある。

目の前に、相手(誰か)がいるからこそ、できる幸い。

日常、友人関係ならばあえて、自分と価値観やいろいろ相性が合わない人と、無理してまで付き合う必要はない。

だけど、職場等ビジネスの場において、そういう人だけとかかわるというのは中々難しい。
こちらが歩み寄っても、なかなか手厳しい人とかかわらなければならない場面もある。
昔、高校時代の先生がおっしゃっていた。
"仕事は選べたけれど、仕事仲間は選べなかった"と。
もちろんその逆もあるし、そのどちらも選べない場合もある。

この言葉からも、やっぱり、仕事だから、グッとこらえないといけないときって少なからずあると思う。
心で泣いたり、怒って、顔でにっこりかわさなくちゃならない相手も出現してくれる。
(しかし人間には限度があるため、あまりにも職場等が過酷で、心身の支障をきたすようならば、その確保を一刻も早くし、逃げよう。逃げることはかっこ悪い、恥ずかしいようなことでは決してない。勇敢でとても素晴らしき決断ができる強さを、持ち合わせているということだ。くれぐれも、自分が壊れるまでがんばってはいけない。)

私はそういうときには、相手の心がいつかときほぐされるようにと、向き合う。
立ち向かうのではなくて。

これは迎合して、顔色をうかがい機嫌を取るのを意味するのではなく、ただ静かに笑顔や思いを持って、そんな瞬間を期待せずに求めずに待っているのだ。
(そして後は忘れる。その一瞬一瞬にかけて、すぐに忘れる。)

私は職場はある意味"勉強の場"ととらえているので、多少の人生トレーニングで自分を無理のない範囲で鍛えたい。
仕事自体に、生きがいややりがいを見出す、またはそんな仕事を探し見つけることは大切なのだが。

どうしても、人と人がいる場所は、気の合う相手だけでは、ない。少なくとも私の場合は。

だから切り替える。
スイッチを自分で作っている。

仕事は"勉強・学びの場"。
私の私生活は"遊びの場"。

で、もちろん学びの場である職場はCDのB面(古い?)で、裏面。

私生活は、自分のための、晴れの大舞台。A面。メイン。自分の大切な人、ものごとに囲まれた世界。

トレーニングの場では、その場なりに、距離を保ちながらも、人を思っていたい。

所詮私は自分のために、生きている。
ちっぽけな者である。

でも、その中でも、少しは、少しずつは、できるだけ心は誰かを思う方に向けていたい。

自分のことを心配し、自分のことばかりを考えている人生は、私にはあまり理想ではない。
ある意味で、自分で自分のことを、どうにかすることにあまり興味がない。
なるようになるから。

あの人、どうしているかな。
あの人の体調は治ったかな。
今もさまざな困難の中に生きている方々の心身が、少しでも守られたらいいな。
寂しい思いをしている人はいないかな。

そういう思いで心を膨らませていたいなと、できているか否かは別として、そんな自分でありたいと願っては、地道に歩みを重ねていく。
綺麗事と思われるかもしれない。
そう言われてしまえば、それはそうなのかもしれない。だけど、綺麗事からでも私ははじめたい。

もちろん自分を蔑ろにもしないけれど。

私みたいな力のない人間に何ができるか。
そんなのはささいな、ちっさな小さなことかもしれない。
だけど、こうやって私は自分ではない誰かのことに思いを馳せることができる。
これが何になるか、知らない。
やまびこみたいに反響して、自分の心が救われていくんじゃないかな。
だから人の為って、自分の為。
私は人にどこまでも助けられている。

一人一人が、各々にできることを精一杯することを集めたら、結局最後には社会に、世界に通じていくと信じる。

今ここにありながら、その小さな自分よりも、世の中の、未来の、世界のことに目を向けたい。
そして、自分の今にまで命を繋いでくれた過去にも感謝して。
そうして、私は小さな自分から解き放たれていけ。

私はなんとか生きてきたんだけど、本当に生かされてきたし、いるんだな。
とってもしあわせだ。

お読みいただき、お時間を、ありがとうございました🙇‍♀️

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