#85 S君との対話
昔勤めたバイト先の記憶が急に私の意識に上ってきた。
何故だろう。
深いレベルにおける理由はあるのだろうが、それを私が捕まえることは許されない。恐らく一生そうして首を傾げ続けるのだと思う。なんとも意地の悪い仕打ちである。
虫の報せをそれなりに信じている私としては、これも何かの縁だろうか、などとつい考えてしまう。
何はともあれ、縁は大事にしたいものだ。近頃の私は偶然性にも正統性を感じ、認め始めている。
一見なんの意味もなさそうな記憶。折角なので私はそれを記録しておくことにした。
・・・
私は高校生バイトのS君と休憩時間に喋っていた。彼は高校二年生だった。
お喋りの内容は恐らく大したものではない。何せ話の内容の殆どを覚えていないのだから。
だが、はっきり覚えていることもある。
どんな文脈でそういう話になったのかは全く不明なのだが、S君は「バイトして親孝行したいと思っている」というような旨を私に話していた。
なんでも彼は私立大学進学の意志があるらしく、高校生のうちにバイトで得た金を貯金して学費の足しにしたいのだそうだ。
S君は少々鈍くさくて不器用で、でも可愛げのある性格で、職場での人気者であった。所謂「愛されキャラ」といって差し支えないと思う。
その姿に惑わされて、私はつい「健気な学生だなぁ、」などと一瞬思ったものの、ひっかかる部分があることも同時に気付いていた。
というのも、彼が同級生の友人達と結構な頻度で遊んでいる実態を私は知っていたからだ。彼はカラオケやゲーセン、あるいはスタバなどに行ったりして浪費、否、時間と金を消費していた。正直、私が見たところ彼はかなり幼稚で、金の使い方が下手だった。こう感じられたのは単に年の功に由来しているだけかもしれないが、他の高校生などと比べて相対評価してみても、彼は金のやりくりが下手だという感想は変わることが無かった。
「え、バイトやる理由ですか?だってお金欲しいじゃないすか。遊びたいお年頃じゃないすか。ついでに親孝行にもなるかなぁ、的な?」とか言われたら私は納得していたのだろうと思う。というか納得せざるを得ない。それが言行一致というものだからだ。
とにかく何かもやもやしたものが私のこころにはあって、このまま放置していることがどうにも気持ち悪かったので、S君には素直に感想を伝えることにした。
休憩室には他に誰もいなかった。そのことが余計に私の行動を後押ししたのだと思う。
私がS君に話したことは、
「バイト=親孝行だとするのは短絡的ではないか?」ということだった(勿論ここまでストレートな言い方はしていない)。
私は「このバイトを辞めて一所懸命に受験勉強して国公立の大学を目指せばいいじゃないか、それが君と親御さんのためになると思う」と正直に思いを伝えた。
(もしかすると、私は当時から「皆がより得をするにはどうすべきか」ということを考えていたのかもしれない。その萌芽なのだろうか。)
聞けば彼は通いたい大学が明確にあるわけでもなく、やりたいことがあるわけでも無かった。さしずめ「なんとなく、モラトリアム。」なのである。だから国公立の大学を目指し、浪人せずにそこへ入学することは一番の親孝行になるのではないか、と私は思ったのだ。
我々がやっていたバイトは技術も殆ど必要ないような単純労働だったから、こんなことをやっていても職業訓練になりはしない。そんな仕事の経験をいくら積んでも、親を安心させるには役不足というものだ。それに、私からしたらそこでの労働は忙しない割に心は退屈で、空虚な時間に他ならなかった。そこで働く高校生たちの糧にも大してならないと感じていた。
(因みに私は学生がアルバイトなどする必要は無い、と今でも思っている。それよりもやりたいことを真っ先に優先したほうがいい。バイトなど後からいくらでもできる。場合によっては私のようにやらざるを得なくなる。)
高校生たちは「キープ要員=補欠」として沢山抱えられており、便利に使われていた。かくいう私も当然の如く消耗品としての日々を過ごしたわけだが。間違いなく資本家の思惑通りに職場は動いていた。念のために言っておくと、これは前世紀の話ではない。
兎にも角にも、こんなバイトをしたところで大した親孝行になるとは到底思えなかった(現に私の両親はアルバイトに勤しむ私を見て不安だったようだ。間違いなく私は親不孝者である)。
だから、こんな(くだらない)バイトをやる暇があったら勉強して国公立大に行けよ、とS君にお節介を言ってしまった。
そうすれば彼の学力も上がり、(俗物じみてはいるものの)ステイタスも手に入り、(今や国公立大も安くは無いとは言え)学費も抑えられる。今貯金せずとも金は後で取り返せる。それも多くを手にした状態で、だ。
モラトリアムな大学生活を想定しているであろう彼にはそれが良いと思った。殊にそういう連中にとって潰しがきくことは大事なことだ。
そして何より、親孝行などという大層立派な大義を掲げるのであれば、それぐらいのことはしろよ、お前はヌルいんだよ、と私は思ってしまった。
結局、それこそが私のこころに生じたもやもやの本丸だった。彼の可愛げのある幼さと真面目さの隙間から時折ひょっこりと顔を出す、あのチャラチャラした不遜な影に、私は我慢ならなかったのだろう。
最終的に私は、彼に言い過ぎてしまったかも知れないと感じて「まぁ、要するに、それが一番合理的だと思うんだよね、まぁ、あくまでも私はそう思ってるっていうだけで、、、そういうことに正解なんかないんだろうから、まぁ、、、良く解らんけど、、、、」などと尻すぼみに会話が終わったと記憶している。
なんだか私のフォローも、茶の濁し方も、たいへん拙く、頼りないものだったような気がしてならない。
夢見がちで世慣れしていなさそうなS君は、思いがけぬ説教に少し決まりが悪そうにしていた。
彼はその天然パーマの髪を撫でながら、
「あー、、、まあ、、、そうなんですけど、、、、ねぇ。・・・へへへ。」
みたいなことを言い、ペットボトルに入ったメロンソーダをおちょぼ口でちびちびと飲んでいた。
・・・
かつての私は件のS君に偉そうに説教したわけだが、私も彼と同じような不遜を重ねて、厚塗りしてしまっているのが現状と言っても過言ではないと思う。自分を棚に上げるとは正にこのことだろう。情けない。
本心から思ってもいないのに、それっぽい大義を掲げて、格好をつけて、立派に振る舞おうとしてしまう。そんな私の姿は実に滑稽だと思う。見る人が見ればものの数秒で十分に化けの皮が剝がされてしまうことだろう。
それにしても、何故あの日の私はあんなにもずけずけと偉そうなことを口走ってしまったのだろうか。後にも先にもあのようなことは経験していない。しかも相手は高校生なのだから、多少不遜であってもそれは珍しいことではあるまい。特段の無礼をはたらいているわけでもないのだから、放置しておいて良かった気もする。
私は人見知りで口数も多い方ではない。また、嫌われることを恐れる質だから、本音で人に意見したりすることはかなり稀だ。
彼の人柄がそうさせたのか。あるいは「決して私のようにはなってはならない」という老婆心故なのか。それとも同族嫌悪か。はて。
S君は今何をしているのだろう。元気にしているだろうか。
彼の願った親孝行は成就していると信じたい。