見出し画像

#102 何でも聴くといったから・・・【無粋について】

以前の話。
音楽を「何でも聴く」という人がいたから、これはいい機会に恵まれたと思って「ブルーブラスについて知らないから教えてくれ」、と教えを乞うた。
「何それ」と言われた。
悲しい。

私の貧しい経験に基づいた教訓ではあるが、音楽を「何でも聴く」という人は大概当てにならない。そう心得るようにしている。
相手の立場で考えると、何でも聴くと言った手前、「何にも知らない」と白状するのは、ばつが悪いだろう。そのような事態に陥ることは、恥に他ならない。従って、私は不用意に相手に恥をかかせたことになる。これは無粋。悪手。自分はろくに情報を得られず、相手は恥をかかされる。つまり、双方の得にならないのだ。相手に関しては損をしてしまっている。私も感じ悪い奴だと思われたかもしれない。下手すれば双方の損となる。そもそも、相手の見た目や話し方、あるいはその内容や語彙などで、文化的レヴェルは大体推し量れるものなのだから、「何でも聴く」というその発言をそこまで真に受けなくても良いではないか。推して知るべし、としか言いようがない。言葉を文字通りに受け取ってはいけないこともあるということ。私のような未熟者は、婉曲の洗練の最高峰たる(一部の)京都ではとても生きてはいけそうにない。無念。

大風呂敷を拡げないこと。
自分の知の領分を予め提示してくれている人は親切でよい。双方の得になっている。さりげない人格者。それを粋という。脱帽。あっぱれ。
具体性は大事なことだ。そういえば、認知行動療法もそのようなものではなかったか。具体性の獲得により、過度な一般化を遠ざけるということ。
よくよく考えれば、「何でも聴く」は明らかに過度な表現ではないか。

・・・などという思い出に耽った或る夏の日。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?