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#91 人のアップデートとは?

人間に対して「アップデート」という言葉を適応することに、私はとても違和感があります。
違和感、というか抵抗があると言った方がより正確ですね。それも結構強めの抵抗です。
以前も述べたかもしれませんが、私は全てを「変化」あるいは「変容」として物凄くシンプルに捉えています。そこにはただ無常が横たわっているだけなんです。
劣化、老化、進化、退化、
そういったものは全部変化・変容です。それ以上でも以下でもありません。そしてそこに良いも悪いもありません。ただそういう流れによって物事が移ろうという事実があるのみです。
それに勝手な評価を与えているのが人間に他なりません。それも主観的価値観に基づく評価なので、どうも腑に落ちないことが多いです。恐らく、こうした感想を抱くのは私だけではないと思われます。
話を戻しますが、人に対して「アップデート」といってしまうと、人間自らがロボット化されにいっているような印象を受けてしまうのです。生理的感覚に過ぎませんが、私はそこにある種の恐怖を覚えます。
更に、「アップデート」というのは、基本的に良い意味で使われますよね。「僕もちゃんとアプデしなきゃですね!」みたいな感じで、自身に対して使われることも多い気がしています。
でも、それって大変不遜なのではないですかね。
その無批判的に良いものとされる「アップデート」という変化は、本当に良いことなのですか?
そんなこと、どうしてあなたに解るのですか、あなたは何様ですか、ひょっとして神様ですか?などと思ってしまうのです。
それに、ブッダが悟った「無常」というものがありますよね。それはこの世の摂理です。万物における変化・変容は絶えず繰り返され、留まることを知りません。この世に生を受けた以上、そこから免れることはないのです。従って、そんな人為的な「アップデート」などせずとも、人は自ずと変わっていきます。仮にブッダの教えに依らずとも、経験を通じて感覚的に我々はそれを知っているはずです。髪の毛が伸びたり、庭の花が枯れたりと、毎日はそのような変化の連続なのですから。
私はアップデート云々という表現から、「操作してやろう、管理してやろう」みたいな不自然と不遜を感じるのです。
私は自らが持つ天然由来のカオスに振り回されて、苦労していますけれども、それでも尚カオスに惹かれています。一生解らないであろうそれが、人の退屈を解消してくれるからでしょうか。それが、人を人たらしめていると感じるからでしょうか。その理由はまだ捉えきれていませんが、魅了されていることは確かです。
私は絶えず変化を続け、いずれは朽ち果て、大地か海に還りますが、それは何の意味も持ちません。ただ、そうなることが決まっているだけです。私がアップデートされることは永劫ありません。


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