あんまん

吹き出しの中に入りきらない

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マガジン

  • Piece lights

    日常の一片(piece)をたばこの煙のように世の中へ拡散。 「lights」の表現は、健康への悪影響が他製品より小さいことを意味するものではありません。

最近の記事

「作曲の科学」フランソワ・デュボワ

作曲は難しそう。自分には出来そうもないというイメージを持っていた。だが、本書を読んで私の中での作曲のハードルがグッと低くなった。作曲に対してこんなもんでいいんだという感想を持った。 ト音記号やヘ音記号、長調や単調など義務教育の音楽の授業で習ったものの、なんとなくでしか理解していなかった音楽理論を復習できた。 私の音楽最終学歴は中学校だ。音楽の構造について全く知らなかったけれど、本書は分かりやすく説明する。音楽をしない多くの人にとって楽譜というのは呪文のように感じられるだろ

    • 【基礎教養部】「生きのびるための流域思考」岸由二著

      JLAB基礎教養部の活動で作成しました。 今月は私が書評の担当でした。imadonさんチクシュルーブ隕石さんのnote記事も参照されたし。 選んだ本は岸由二さんの「生きのびるための流域思考」です。 選んだ理由は、流域思考という言葉に惹かれたからです。この本を紀伊國屋書店でたまたま見つけた時、「流域思考、なんじゃそりゃ!?」と思わずマガジンマークが出てしまいました。ビジネス書には論理的思考や、批判的思考、デザイン思考などたくさんの〇〇思考がありますが、流域思考など聞いたこ

      • 【基礎教養部】『発達障害「グレーゾーン」その正しい理解と克服法』岡田尊司

        私は高校生の頃にストーカーまがいの被害の経験がある。記憶の奥の方に閉まっていたけれど、この本を読んでそれを思い出した。今まで忘れていたけれど、これが私のトラウマになっていることをはっきりと自覚した。私にストーカーをした人(Tさん)はずっと、本当にずっと私に付きまっとてくるタイプで、本人に自覚はなかったのだろけど人との距離感を測るのが苦手な人だった。それに、物理的にも接触距離が近く、土足で私のパーソナルスペースにずけずけと踏み込んでくるから怖くなった。その上、自分の思い通りにい

        • 『足の裏に影はあるか?ないか?哲学随想』入不二基義【基礎教養部】

          書評はこちらに書きました。読めばこの本を読みたくなります。(公開までお待ちくだされ) 現実は必然的に限定されたものとしてのみ現れる 筆者がこれだけは疑い得ないものとして思考の上での公理として用いているのが「現実は必然的に限定されたものとしてのみ現れる」ということである。この公理が、「ほんとうの本物」(リアリティ)を探るプロレス論の根幹に存在している。 現実に現前したものには、もはや可能性はない。現前してしまったものはそうでしかあり得ないということである。これは運命論者の

        「作曲の科学」フランソワ・デュボワ

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        記事

          『神さまと神はどう違うか』

          私は宗教や神さまの話になるとウッと身構えてしまう。というのも、通っていた高校がキリスト教主義の学校で当時のトラウマがそろりと顔を覗いてくるからである。私は正直に申すと、宗教や、神さまというものが大嫌いなのである。 学校に来て席についてまずはじめにすることは讃美歌を歌うことである。午前8時40分になると校内放送で讃美歌が流れてくる。それを歌い終えると教室内で決められた範囲の聖書を読み、教室にいる全員で「主の祈り」を唱える。「主の祈り」というのはキリスト教での祈りの基本形みたい

          『神さまと神はどう違うか』

          『人類はどれほど奇跡なのか』

          西住さんに紹介していただいた『人類とはどれほど奇跡なのか』を読んで作成したレポートです。西住さんのnote記事は以下参照: 本書を読むよりも先に西住さんのnote記事を読んでいたせいか、私が本書を読み終えた後に最初に浮かんだ疑問は「はて奇跡とは一体なんだろな?」ということだった。というのも、本書を読む前は人類はどれほど奇跡的で、どんなふうに奇跡的な存在なのかなぁとワクワクしていたのだが、読み終わってみると、あらかた予想通りで、確かにそうだよねと思わず落胆してしまった。 本

          『人類はどれほど奇跡なのか』

          ヘブンズドアー

          みすず書房、モンティ・ライマン著、塩﨑香織訳『皮膚、人間の全てを語る 万能の臓器と巡る10章』を読んだレポートです。 私にはお気に入りの傷がある。小学校に入学して間もない頃、何度も練習して十分に自転車に乗れるようになった私は、住んでいた市内で最も大きい公園で家族で休日の時間を共にすることになった。その公園内の長く急な傾斜の坂道を私は自転車でぶっ飛ばした。自転車に乗れるようになって初めて感じる風の抵抗と気持ちよさに夢中になっていた私は気づけば、もう簡単には止まれないスピードを

          ヘブンズドアー

          退屈な物語を今日もまさぐる

          この記事はJLAB基礎教養部の活動で作成したものである。蜆一郎さんに紹介していただいた國分功一郎の「暇と退屈の倫理学」と 蜆一郎さんの作成した記事を読み私が素朴に感じ、考えたことを記載している。 最近とても暇である。2023年の4月に北海道大学の農学部生物資源科学科に進級した。現在、週に授業が8回しかない。そのうちの1回は農場実習といって、畝にマルチシートを貼ったり、田植えをしたり、リンゴの摘果をしたりしている。これまでの人生の中で一番のほほーんとしている。大学生は人生の夏

          退屈な物語を今日もまさぐる

          『音楽の聴き方』【基礎教養部】

          この記事はJLAB基礎教養部の活動で作成したものである。Naokimenさんに紹介していただいた岡田暁生の「音楽の聴き方」と Naokimenさんの作成した記事を読み私が素朴に感じ、考えたことを記載している。 小中学生の頃の同級生が弾いていたピアノが好きだった。弾いている姿はとても素敵で、私は何もできないのに彼女がその手で美しい音色を奏でられることに嫉妬した。それから母の持っていたジョージウィンストンのCD、「AUTUMN」を繰り返し再生して、ピアノの生み出す世界に何度も飛

          『音楽の聴き方』【基礎教養部】

          カニ食えるなら虫も食えるでしょ

          目を覚ませ  まず、下のズワイガニをまじまじと見てほしい。  「美味しそう」って思った人はカニの美味しさに洗脳されている人だ。しかし、洗脳されるのも無理はない。誰でもカニを一度食べてしまえばその美味しさの虜になってしまう。でも、その味をいったん忘れて(そんなことはカニの美味しさを知った後では不可能だが)カニを凝視してほしい。  キモい。ブツブツの表面に長くて多い脚で、蜘蛛みたいなシルエット。三島由紀夫は彼の著書『不道徳教育講座』で「カニという漢字を見ただけで、その形を如

          カニ食えるなら虫も食えるでしょ

          『おしゃべりな脳の研究 内言・聴声・対話的思考』チャールズ・ファニーハフ著 柳沢圭子訳

          書評はこちらにあります。 https://www.j-lectures.org/psychology/the_voices_within/ 最近、脳内で勝手に曲が流れてくる。これに結構困っている。止めようと思っても止まらない。常に脳内の限られたリソースのある程度を曲の再生に奪われている感覚だ。だから最近は、脳内の曲を上書きするように作業用BGMをかけながら、勉強したり本を読んだりしている。 厄介なのが、曲の脳内再生をしながら思考ができてしまう点である。思考するときは曲が止

          『おしゃべりな脳の研究 内言・聴声・対話的思考』チャールズ・ファニーハフ著 柳沢圭子訳

          お墓参り

          一人暮らしを始めて約一年が経った。今の時代はスマホがあるから家族や地元の友達とは離れていても、いつでも連絡が取れるし、繋がっていると感じられる。寂しさなんてものは微塵も感じない。しかし、地元から離れて唯一恋しくなったのはお墓参りであった。お線香のあのいい匂いとも悪い匂いとも言えない独特の匂いが恋しい。 正直、地元で暮らしていたときはお墓参りに行くのは面倒で億劫だった。お墓を掃除するのは大変だったし、家族に連れられた時にしか行かず、私からお墓参りに行こうなんて言い出すことはな

          お墓参り

          殺っちゃえ!

           「不道徳教育講座」三島由紀夫著,角川出版,書評はこちら  殺意とは「殺っちゃえ!」と思う気持ちのことである。まったく、不道徳の極みのような感情である。  人間の殺意というものは生得的なものである。それは、子供を見ればわかる。彼らは嬉々としてアリの巣に水を流し込み、踏みつける。私の高校時代の老教師は少年時代に、カエルに爆竹を詰め込んで爆発させたとか、カエルの肛門にストローを突っ込み爆発させたなど、残虐極まりない行為をしていたそうだ。私も少年時代は、数多くの昆虫や生き物を殺

          殺っちゃえ!

          だるまさんがころんだ

           10月の下旬のよく晴れた日。いつもよりも少し暖かく、気持ちのいい日であった。  私は猫の手も借りたいほど課題に追われていた。そんな課題にひと段落をつけ私は、気分転換に紅葉狩りも兼ねて、北大植物園へと足を運んだ。  有料の施設だが、北大生であれば無料で入園することができ、大学から近いこともあって、気軽に訪れることができる。だが、学生はまずこの場所には来ない。園内は人が少なく、居ても年配の方ばかりだ。  いつでも身近に存在する物というのは感謝がしづらいものだ。いつも身近にいる家

          だるまさんがころんだ

          道を歩くこと

          道というものは、何者かが何かをした結果できた跡だ。だから、道を歩くということは、以前何者かがしたことと同じことをすることである。しかし、面白いことに、道というものは変化する。分かれ道ができたり、近道ができたり、道を歩く者によって洗練されてゆく。まるで生き物の進化みたいだ。 道がなければ、私たちは、混沌とした世界を自分でかき分けてどうにか生き延び、同じ間違いを繰り返し、同じ解決法を再開発しながら進まなくてはならなくなる。 道というのは結果だから、残してゆくには使わなければな

          道を歩くこと

          思い出小袋

          泣き虫  子どもの頃を思い出すと、いつも泣いてばかりであった。それは、幼児期特有のわがままを聞いてもらえるとか、感情で相手に理解を求めるためのものではない。感情が溢れすぎて処理しきれなくなり、勝手に出てくるものだった。恥ずかしいから泣きたくないのに涙が止まらない。泣いたのを知られたくなくて何度も顔を洗うけど目は腫れているからバレてしまうのが嫌だった。高校生になっても泣き虫は治らなかった。実は今でも涙脆い。感情全てにアンプがつながれているようだった。そんなんだったから、こころ

          思い出小袋