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ヘブンズドアー

みすず書房、モンティ・ライマン著、塩﨑香織訳『皮膚、人間の全てを語る 万能の臓器と巡る10章』を読んだレポートです。


私にはお気に入りの傷がある。小学校に入学して間もない頃、何度も練習して十分に自転車に乗れるようになった私は、住んでいた市内で最も大きい公園で家族で休日の時間を共にすることになった。その公園内の長く急な傾斜の坂道を私は自転車でぶっ飛ばした。自転車に乗れるようになって初めて感じる風の抵抗と気持ちよさに夢中になっていた私は気づけば、もう簡単には止まれないスピードを出していた。「やばい!」と思った瞬間に右ハンドルのレバーを強く握った。自転車の右のブレーキはは前輪のタイヤと結びついているため、猛スピードから突如前輪が止まり私は宙へと舞った。ほんの数秒前とは打って変わって周りの景色がゆっくりになった。そのまま見事に顔面で着地。おでこに握りこぶしくらいの大きな痣ができた。それから3ヶ月ぐらいは私のあだ名がアバターになった。

皮膚には数えきれないほどの思い出がある。自転車で転んだ時の傷跡、中学の図工の時間で彫刻刀で指をバッサリ切ってしまって縫った跡、初めて手を繋いだ感覚、初めてキスをした時の唇の感覚。どれも鮮明に思い出すことができる。

容姿としての皮膚

時に人間にとって容姿は命よりも重要になりうる。デヴィット・フィンチャー監督の映画『セブン』にて、あるモデルは殺人鬼に顔をナイフで滅多刺しにされ、右手に電話、左手に睡眠薬を持たされる。電話で助けを呼んでこのまま醜い顔で生きるか、睡眠薬で自殺をするかという選択を迫られる。このモデルは、睡眠薬で自殺をするという選択をした。

人は社会性のある動物だからか、自分が他者の目にどのように映っているかということをとても気にする生き物だ。皮膚は自分自身を形作る。それは物理的に人間を支えているだけでなく、皮膚の美しさの印象や、皮膚の色はアイデンティティを構成する要素の一つだ。だから、特に年齢が若ければ「容姿よりも命」というよりも「容姿が命」というほうが正しいかもしれない。

本書によると、皮膚がんの写真を見せられ、日焼けのダメージは将来あなたの健康に響きますと聞かされても、行動の変化にはあまりつながらず、日光を浴びて出来たしわやしみ・そばかすの写真を見せられ、肌を焼くとこの先外見に影響が出ますよと言われると、紫外線防御のガイドラインをまじめに守る人がかなり増えるそうだ。

思春期の人にとってニキビができたことの精神的ダメージは計り知れない。このような皮膚から精神という方向の作用だけでなく、テスト期間中の蕁麻疹や赤面のように精神から皮膚への作用という方向もある。このように皮膚と心の状態は互いに密接に関係している。あなたの彼女や妻が美容用品に大枚をはたくことに辟易している男性諸君、美容用品はあなたのパートナーの皮膚を美しくするだけでなく、メンタルヘルスも改善させる。是非とも週末にでも何か美容用品をプレゼントしてみてはどうか。そして自分自身でも使ってみたらどうだろうか。もっと自分に自信が持てるようになって、メンタルヘルスを向上させるかもしれない。

ともあれ、私がこの本で学んだことの一つは皮膚は、常にそこにあって、軽視されやすいものであるが、見た目、容姿というのは全く馬鹿にできない大きな要素で、私たちの精神や社会にとてつもない影響を及ぼすということだ。

触れるということ

私の母は魔法が使えた。傷を負った部分を優しく撫でながら、「いたいのいたいの飛んでいけ」という呪文を唱える。すると痛みが消えるという回復魔法だ。この魔法で触れるということのパワーを身に染みて経験した。

本書で触れていた実験に興味深いものがあった。壁に空いた穴から腕を出し、反対側の人がその腕に1秒間触れて、情報を伝えるというものだ。触れられたほとんどの人は、感謝、思いやり、愛情、怒り、恐怖、憎悪といった感情を一瞬の接触で区別できるという。

人間の知覚は8割が視覚なんて言われるが、触れることでしかわからない情報が必ずある。人間の技術が発達して、人間の代わりにカメラで見る、録音することは可能になった。しかし、機械には触れたか触れていないかの判断はできても、上の実験のようなそれ以上の情報を伝えることはできないだろう。

新型コロナウイルスが流行して、非接触が推進されるようになった。ウイルスを蔓延させないために、接触を制限するのは仕方がなかったかもしれない。けれど、触れることを制限することは、触れることから得られる多様で唯一無二の莫大な情報を制限することである。当たり前だが、人間の頭の中で考えることは全て感覚から得られた情報を元にしている。人間は知覚したものからしか考えられない。だから、触れることを制限することは、きっと脳の柔軟性を縮小させる。触れることは、人間をもっと豊かにする。脳に情報を伝達するインプットの方法をもっと大事にすべきだ。

好きな人ができたら、その人に触れたい、触れられたいと感じるのは自然なことだ。手を繋いだり、ハグしたりすると幸せな気持ちになる。私の大好きな人もこう言っていた。

「あなたの「手」...とてもなめらかな関節と皮膚をしていますね...白くってカワイイ指だ。ほおずり...してもいいですか?...「ほおずり」...するととても落ちつくんです。アフウウウ〜」

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