【基礎教養部】『発達障害「グレーゾーン」その正しい理解と克服法』岡田尊司

私は高校生の頃にストーカーまがいの被害の経験がある。記憶の奥の方に閉まっていたけれど、この本を読んでそれを思い出した。今まで忘れていたけれど、これが私のトラウマになっていることをはっきりと自覚した。私にストーカーをした人(Tさん)はずっと、本当にずっと私に付きまっとてくるタイプで、本人に自覚はなかったのだろうけれど人との距離感を測るのが苦手な人だった。それに、物理的にも接触距離が近く、土足で私のパーソナルスペースにずけずけと踏み込んでくるから怖くなった。その上、自分の思い通りにいかないと爆発しそうな鱗片があったので、私は爆弾が爆発しないように、四六時中Tさんに気を配る生活をしていた。けれど、私のストレスが限界に達してしまい全ての連絡手段を遮断した。あの2ヶ月が人生で一番長く感じた。以来、私は誰かに愛されるということに恐怖感を持っている。もっと細かく言えば、過剰な愛からくる束縛がないかいつもビクビクしている。

このような未だに癒えない心の傷があるが、果たして、私は発達障害「グレーゾーン」なのか?

本書に記述されてあるタイプのなかで最も近いのは、恐れ・回避型愛着スタイルであろうか。ただ、決定的に違うのは私には相手の評価や反応、自分が受け入れられているのかどうかを気にする側面がほとんどない。もちろん愛した人、愛している人に嫌われるのは相当なストレスだし、そんなものは誰だって心に傷を負う。だが、そのような心の傷はこれまでの数々の失恋で、ある程度は耐性がついた。私は幼少期から家族に愛されて育てられてきたと思っているし、愛されて育てられたことを誇りに思っている。私には愛してくれている人がいる。だから、誰かに対して過剰に嫌われないかなどと思うことはない。私は自分のことを精神的に自立していると思っている。

私は、本書を性格診断本のように楽しんだ。上記の部分以外にも自分に当てはまるところや、あの人このタイプだなと思うところがあり、「確かに!わかるー!」とテンションが上がった箇所がいくつもあった。本書を読んだ人で、書かれてある事例に一つも当てはまらない人はいないと思う。誰しも自分に直したい部分や、生きづらいと思う部分があることはあって当然である。生きづらさがなければ人間はきっと退屈だ。生きづらさに対して試行錯誤してゆくなかで成長することもあるだろう。

けれど、本書のグレーゾーンの幅は広いとは思った。黒色強めの事例もあったが、そんなもん誰にでも当てはまると思うような、私にはグレーどころか白に見える事例さえあった。また、ビルゲイツやフランツカフカ、ジェフベゾス有名人の事例が数多く書かれているのが印象的であった。発達障害に憧れを持つ人が出てくるのでないかというほどに、誰しもが知る有名人を挙げ、その発達障害の気質のおかげで成功したという書かれ方がしてあるものが多かった。

私は厨二病の時期には、どこか欠損していて、特殊能力を持つような人に憧れを抱いていた。本書の「発達障害のおかげで成功できた」みたいに取られかねない書き方ににはどうかと思った。

誰にでも本書に述べてある生きづらさに共感できるという点は近年のHSPブームに関係があると思う。HSPだけでなく、ADHDやASDなどの精神医学用語も2022年あたりから頻繁に見かけるようになり、エヴァンゲリオンで話題となったアダルトチルドレンなどと同じようにポップ化されて市民権を得ている言葉になっていると感じる。

HSPに関連する書籍を同じ基礎教養部のYujinさんが扱っていたので載せておきます。

本書が発行された背景、HSPブームの背景には生きづらさに名前がつくことで安心したいという需要が高まっているからだと考える。日本に自称HSPは5人に1人いるらしい。

体調が悪い時に、内科に行って風邪と診断されて安心しても風邪は1週間も経てば勝手に治る。しかし、HSPと自称して安心しても、生きづらさの根本の解決はしない。むしろ、自分がHSPであると自認することで自分の性格がHSPの定義の枠組みに引っ張られるはずだ。HSP自称者は自称することで、自ら生きづらくしているように見える。

googleでADHDやASD、HPSを検索バーに打ち込むと必ずサジェストに「診断」が表示される。多くの人は、そこで信頼性の低いwebサイトでの自己診断で自分をラベリングするだけで済ましてしまうのではないか。インターネットを使うことで心理学や、精神医学の情報が簡単に手に入るようになってしまったため、用語の解像度が低く伝わっている。詳しくその用語を知らないままラベルを貼ることは、返ってその人の人柄や性格が見えにくくなってしまわないだろうか。ラベリングだけで済ませるのはその人にとっても社会にとっても悪影響だ。そもそも、本当に生きづらさに悩んでいるならば、病院に行くはずだ。

HSPは医学用語ではないが、このような用語がコンテンツとして「消費」されている。もうやめにしないか。誰かからラベリングされなくても君はそこにいる。





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