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【短編小説】涙くんと涙ちゃん

「見ててな」

藤野は上目で俺を見ながら、人差し指で自分の目頭を差した。そこから、ツー、と涙が溢れ出す。鼻筋を通って、口元まで垂れてきたところで、涙を手で拭う。

俺は、急に泣き出した友人をまじまじと見る。

「まあ、びっくりするよね。これが俺の特技というか、特殊能力」

藤野はテーブルの紙ナプキンで涙を拭き取っている。

「自在に涙を流せる・・ってこと?」

藤野は頷く。

テレビで見るような、役者さんが役に入り込んで泣くのとはワケが違う。2秒ほどで、蛇口を捻るように藤野は涙を出してみせた。

「子供の頃から出来た。親も知らない。だから病院にも行ってないし、原因もわかんない。友達に教えるのもお前が初めてだな」

じゃあどうして俺に見せたのか。ただ、様子を見るに茶化しているわけではなさそうだ。顔は笑っているが、声がやや緊張している。

「長くなるけど、聞いてほしくて。俺のちょっと変な人生の話」




平日夜のロイヤルホスト。俺と藤野が座った窓際の席からは駅前の雑踏が見下ろせる。帰路につく人。飲み屋を探す人。

会うのは大学卒業してから3回目か。仕事終わりは初めてだ。

藤野はゆっくりと話し出した。


「小学校の時、自由に涙を流せるってこと気づいてさ。最初は面白がって皆の前で泣いてみせたりしてたけど、皆すごいって言いながら、内心気持ち悪がって引いてるの分かってさ。そういう反応って子供心には結構ショックで、それで人前でやるのは一切やめたんだ」

大学で知り合って以来、藤野が子供の頃の話をするのは初めてだった。

「でも卒業式とか節目節目でさ、小学生って皆泣くじゃん。俺も寂しいとかの気持ちはあるんだけどさ、泣くのは俺にとっては”意図的なもの”だから、そういうとき場の空気に合わせて涙を流すんだよ。声出して本当に泣いてるふりもして。そしたら、なんか白々しく思えてさ、寂しいとかの感情もそれでブッ冷めてたんだよね。

感情の到達点って、最後は涙、だと思ったんだ。嬉しかったり、さみしかったりの気持ちが膨れ上がると、涙に行き着く。でも俺はそれがない。感情の一番奥がぽっかり空白な感じがして。

深いところで俺は、人と同じ気持ちになれない。中学校の途中くらいからそう思うようになってさ、うまく人付き合いはしながらも、薄い壁一枚、皆と距離を置くようになったんだ」

話しながら、右手のジェスチャーが不自然に細かい。誰にも言ったことのない胸の内なのだろう。



「それから大学生になって、合コンとか行くようになって。そしたらこの特技のメリットに気づいてさ。秘技、泣き落としだよ。女の子の身の上聞きながら、スーッと涙を流すんだ。そしたら相手すごい感動して、そうなるとこっちのもんで。まあ顔の良さもあるんだろうけどね」

「お前、そんなことしてたのか。なかなかゲスいな」

「誰にも話すなよ。社会人になっても、それで何人か女の子を落とした。まあ、虚しいよね。本当に共感してるわけじゃないし」



藤野はそこで一呼吸置いて、話を続ける。

「社会人4年目になって、咲(さき)っていう同期の子と同じ部署になったんだ。背が低くて、顔は可愛いんだけど服装とか髪型とか、あんまり頓着ない感じで。

で、この子が、奇跡みたいな泣き上戸で。いっつも泣いてんの。仕事で怒られても泣いてて、褒められても嬉しくて泣いてて。

いちど一緒に電車に乗った時に、皆が駆け込み乗車を全然やめずに発車できない、ってことがあったんだ。それで車掌が『駆け込み乗車おやめくださいっ』って何回かアナウンスしてたんだけど、それを聞いて咲が車内でブワッて泣き出してさ。え、どうしたの?って聞いたら、『車掌さんがかわいそう。あんなに一生懸命伝えてるのに』って。どんな感受性なんだよ、って思って。

まあ感受性もやばいんだけど、周りを一切気にせず調整ゼロで感情を外に出す感じが、俺には信じられなくて。


でも部署で唯一の同期だし、話す機会は自然に多くなって。俺に対しても全く警戒しないし、俺が愛想笑いしてる横でも気にせず笑ってるのよ。

そういうの最初はちょっと鬱陶しかったんだけど、だんだん居心地良く思ってきて。不思議だよな。だって真反対の人間なわけじゃん。偽りの涙くんと、いつでも号泣ちゃん。

で、細かいことは省くけど、それで付き合うことになったんだ。もちろん、泣き落としは使ってないよ。


咲との時間は楽でさ。こっちが計算する必要ないからね。楽しけりゃ笑ってるし、悲しけりゃ泣いてるし。変に合わせる必要ないな、って考えると、気持ちが軽くなって、そうなると自然に俺も笑えてさ。

咲が号泣するの見るのが面白くていっぱい映画見たり、プレゼントもマジでなんでも喜ぶから、逆に選ぶの難しかったり。


それで2年くらい経ったとき、咲のお父さんが亡くなったんだ。家で一緒にいる時に電話があって。親父さんには会ったことなかったけど、社会人になっても実家のリビングでハイテンションツーショット撮るような、仲良い親子だったから・・・どう声かけていいか分かんなくて。

俺、咲の前で涙流したことなかったけど、こういう時は一緒に泣いてあげたい、と思って、見たら、咲、泣いてなくて。

どうして?と思って。でもその泣いてない咲を見てると、なぜかわかんないけど俺の方が涙が溢れてきたんだ。演技じゃない。本当の涙。ぼろぼろ出てくるんだ、止まんなくて。


それで思ったんだ。

俺は、涙が感情の到達点だと思ってたけど、感情って、もっと複雑で、簡単に理解できなくて。だから俺は特別じゃなかったんだな、難しく考えすぎてたんだな、って」



藤野は腰を浮かして座り直すと、吹っ切れたような笑顔になった。

「話が長くなったね。聞いてくれてありがとう。で、今日聞いてもらった理由が、これなんだ」

そう言うと藤野は、カバンから鮮やかな青色の封筒を取り出した。「招待状」と書いていた。

「咲と、結婚します。俺あんまり友達いないから、小さな式なんだけど、お前には来てほしくて」



この男のちょっと数奇な青春は、ひとまずハッピーエンドを迎えたようで。

大学時代には見なかった澄んだ笑顔に、俺も嬉しさがこみ上げる。


おめでとう、涙くんと涙ちゃん。










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