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学生さんは社会福祉の「相談援助」にがっかりするかも❓という話

▼おはようございます。本日は、ソーシャルワークでいう「相談援助」や「カウンセリング」とはどのようなものかというお話をさせていただこうと思います。すこし難しく、すこし長く、そして、とくにこころの病気のある方はすこしがっかりされるかもしれませんが、しばしお付き合いくださいませ🍀🍀🍀
(以下、内容は昔の個別援助技術(ケースワーク)ですが、ソーシャルワークという表記に統一します)

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▼以前、『福祉士養成課程と中退の話』というページで、福祉士養成課程に入学される学生さんには、ご自身がなんらかのこころの病気をお持ちで、その経験を役立てたいという動機から入学されるパターンがみられる、というお話をさせていただきました。

▼こころの病気などのある学生さんは、同じ悩みや病気のある人の役に立てれば、またそのことをとおしてご自身の回復や成長にもつながればとお考えではないでしょうか❓ こうしたお考えは貴重ですし、大切にすべきであると私自身は考えます👍

▼そして、なんらかのご病気、とくにこころの病気のある学生さんは、社会福祉士や精神保健福祉士の「相談援助」や「カウンセリング」という用語に対して特別な関心をお持ちのことが多いようです。

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▼ソーシャルワークは、いまも昔も「相談(カウンセリング)」という技法を実践理論の中心に置いています。専門的な「相談」には、いわゆる心理療法のように治療するという意味での相談と、受容、共感、傾聴のように聴くという意味での相談の2つがあります。

▼ちなみに、「相談」には、職業指導や進路指導など、学校教育を中心にはじまった指導的な相談(ガイダンス)というジャンルもあるのですが、このページでは省略します。

▼そして、現代のソーシャルワークでいう相談は、聴くことに重心がかたよっています。ソーシャルワークが、聴くことを重視しているのはなぜなのでしょうか❓ この事情は、『社会福祉学は「べき論」が多いという話』というページで表面をなぞりましたので、今回はもう少し深掘りしてみますネ👍👍👍


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▼現代のソーシャルワークでは、生活課題は、個人とそれを取り巻く社会環境との「関係」がうまくいっていないときに発生しやすい、というものの見方をします。

▼貧困や失業がまさにそうですし、助けてくれる人が周りにいれば介護の悩みは少しは緩和されるかもしれませんし、障がいに対して寛容な人が周りにいれば、個人の障がいに対する悩みは少しは緩和されるかもしれません。

▼このとき、個人的な原因と社会的な原因とを切り離して考えてはなりません🌀🌀 片方では自己責任論のように、わかりやすいけど問題解決にはなりませんし、もう片方では、なんでもかんでも社会の責任にしてしまうと、これまた問題解決にはなりません・・・

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▼さて、ソーシャルワークは、だいたい19世紀後半のイギリスにはじまって、20世紀初頭にアメリカに渡って大きな発展を遂(と)げるのですが、はじめの頃は、治療するという意味での「相談」をしていた時期があります。

▼1910年代に第一次世界大戦が起こると、出征軍人と復員軍人の戦争神経症(いまでいうPTSD)が多発しました。当時の精神医学は、フロイト(Freud S.)が創始した精神分析療法でこれを治療しようとしました(というか、当時の神経症治療の選択肢がそれしかなかったというのが正確なところ)。

▼初期のソーシャルワークは、この精神分析療法の影響をもろに受けまして、社会ではなく個人のこころの内面に介入する治療的な「相談」を中心的な技術とするようになったのでした。

▼その後、第二次世界大戦をはさんで、精神医学のトレンドは精神分析療法から行動療法(現在は認知行動療法として発展しています)へと移りました。行動療法は、こころの内面ではなくて、姿かたちにあらわれるような具体的な行動を変えることを目指す心理療法です。

▼行動療法の大きなアピールポイントは、測定が可能であるという点です。つまり、治ったのか治ってないのかがわかりやすいということです(じっさいには測定がめちゃ困難です💦)。

▼たしかに、精神分析療法は、それ自体に効果があるかどうかを評価するのが非常に難しいです。精神分析は、科学的、合理的というよりもむしろ文学的な解釈をしますので、いかようにも取れるような治療に対して効果測定などできるわけがないのです(ただし、創始者のフロイトは合理主義的科学の持ち主だったといわれています)。

▼精神分析療法の影響を受けていたソーシャルワークもまた、精神分析療法では利用者の生活課題は解決しないといわれるようになりまして、精神分析療法とは距離を置くようになります。

▼しかし、当時のソーシャルワークはよっぽど精神医学や臨床心理学を意識していたのでしょう、第二次世界大戦後の一時期、行動療法の影響を受けて「行動変容アプローチ」というソーシャルワーク実践理論が現れています。

▼余談ですが、精神分析療法家と認知行動療法家は、治療効果があるかどうかをめぐって、もう50年以上も実りのない論争をしつづけています。しかも、双方とも最初に結論ありきのため、議論がまるで噛み合っていません・・・

▼精神分析療法は、いまも精神科医療の現場で活用されています。とくに、子どもに対する精神科医療ではさまざまな精神分析理論が応用されていますし、成人に対する一部の心理検査でも精神分析的な解釈がなされることがあります。また、3福祉士国家試験によく出題される防衛機制も、源流は精神分析です。ですので、精神分析療法は現代的ではないとしても、全否定まではできないと考えるのが無難でしょう😌😌

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▼精神分析療法を捨て去ったソーシャルワークが「相談」の技法として用いることになったのは、ロジャース(Rogers C.)の来談者中心療法です。ざっくり申し上げますと、これはカウンセラー(セラピスト)の介入度合いを減らして、問題を抱えている人が自分自身で問題を改善していけるように側面的に支援しようというものです。

▼精神分析療法は、患者の過去を掘り起こしては適当な解釈をつけるなど、患者に対するカウンセラー(セラピスト)の介入度合いが高い技法です。治療効果はどうであれ、カウンセラー(セラピスト)の介入度合いが高くなると、患者の依存度も高くなって自立しにくくなります。そこで、来談者中心療法では、カウンセラー(セラピスト)は側面的支援者に徹しようとするのです。

▼カウンセラー(セラピスト)が患者のこころに対してどの程度介入すべきかという点は、技術上、倫理上きわめて注意すべき問題です。いわゆるマインドコントロールのように、介入度合いが高過ぎて他人のこころをめちゃくちゃにしてしまう技法もありますし、強い催眠もまた、他人のこころに対する介入度合いが高い技法でして、やはり治療場面では注意を要するといえるでしょう。介入度合いが高いということは、そのぶん患者の主体性が損なわれているということです。

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▼来談者中心療法は、こころの病気のある方からすれば、カウンセラー(セラピスト)はのらりくらりとしたことしか言わないし、治るとも治らないとも言わないし、どっちつかずの態度をとるし・・・などなど、不評を買いやすいようです。

▼社会福祉士や精神保健福祉士の養成課程でも、こころの病気のある学生さんが『ソーシャルワーク演習』の授業で来談者中心療法にもとづく面接技法を演習されたときに、「こ、この程度❓❓」とがっかりされることが多いです🌧️🌧️🌧️

▼それもそのはず、来談者中心療法ではクライエントの力を最重要視します。カウンセラーが誠実になろうとすればするほど、クライエントの判断にゆだねることになりますので、中性的な態度が目立ってしまうというわけです。

▼なお、来談者中心療法は、こんにちの利用者主体自己決定といったソーシャルワーカーの倫理綱領の基礎にもなっています。

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現代のソーシャルワークは、個人のこころの内面を治療することを目的としていません。「相談」という技法を使いながらも、「相談」そのものによって利用者さん個人をどうこうするのではなくて、利用者さん個人の想いを傾聴したり、必要な情報を聞き出すために「相談」が使われるということです。

▼したがいまして、社会福祉士や精神保健福祉士の養成課程で学ぶ技法も、基本的には聴くための面接技法で、治療するための技法は学びません。「治すことはできないけれど、寄り添うことはできますよ」という立場です。

▼この点をご理解のうえ、福祉士養成課程にぜひぜひチャレンジしてくださいませ👍👍👍

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