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社会福祉学は「べき論」が多いという話

▼こんにちわ。いきなりですが、社会福祉学という学問は「ああすべき」「こうすべき」という「べき論」がやたら多いのが特徴です。

▼・・・ということで、本日は「べき論」なるものについて、僭越(せんえつ)ながら学問という立場からお話しさせていただきます。少し敷居は高いかもしれませんが、しばしお付き合いくださいませ🍀🍀🍀

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▼実践者の方であれば、研修などで有識者が「○○すべきだ」などと連呼するのを聞いて「いやいや、○○が大事なことくらいわかってる。じゃあ具体的にどうすんのよ❗」とムッとされた経験がおありではないでしょうか❓ 

▼社会福祉学では、「ああすべき」「こうすべき」といった「べき論」のことを目的概念といいます。逆に、実際にどのように支援していくのか(支援すべきか、ではありません)という方法論や具体的な制度のことを実体概念といいます。目的概念と実体概念という2つの専門用語は、ぜひ知っておいていただければと思います(国家試験には出ません💦)。

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▼目的概念、すなわち「べき論」がたくさんあるということは、その学問に定理のようなものがなくて、ツッコミどころがたくさんあるということです。また、「べき論」がたくさんあるということは、それらのあり方がいつまで経っても実現していないということでもあります。そして、極端に申し上げますと、「ああすべき」「こうすべき」なんてことは誰にだって言えてしまうのです🌧️🌧️🌧️

▼しかし、目的概念がまったく必要がないとは一概にはいえません。理由としては、私がいま思いつく限りでは3つあります。

①「べき論」が専門職倫理に反映されていること:
●専門職団体(職能団体)と倫理綱領は、その専門職が社会的に信用されているかどうかの「ものさし」となります(これがないと専門職としての信頼度に欠けます)。

②目的概念の多い学問は、多様な考え方を許すという意味で自由であること:
●社会福祉学の内容は、そのときどきの政治、経済、社会、文化の状況に対応して変化していく学問ですので、その学問が一つの考え方にまとまってしまうことが、逆に危険であると考えることもできます。

③目的概念が当事者の希望につながっていること:
●当事者の方々にしてみれば、「ああすべき」「こうすべき」という望ましさは、生きていくうえで大きな糧となります。

▼ちなみに、社会福祉学という学問は、「ああすべき」「こうすべき」という目的概念を欧米から輸入しては流行させ、消費することを繰り返してきました。

▼私が学生の頃に流行していたのはノーマライゼーションでした。ノーマライゼーションという目的概念を実現させるためには、別の実体概念が必要となります。その前後にはインテグレーションインクルージョンが伝わり、次にエンパワメントストレングス(注:エンパワメントとストレングスは出所が異なりますので混同されませんように)、次にリカバリー(あまり浸透していません)、そしてここ10年ほどはリジリエンス(レジリエンス)という目的概念が流行している、という具合です。

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▼では、実体概念=具体的な方法はどうでしょうか❓ 

▼社会福祉士、精神保健福祉士の養成課程の学生さんや受験生さんは、ソーシャルワーク実践理論というものを学ばれます。たとえば、「○○アプローチ」「△△モデル」と呼ばれるものです。

▼しかし、残念なことに、これらの実践理論は具体的な解決手法を持たないものがほとんどです。これは、ソーシャルワーク(とくにケースワーク)の実践理論が「相談」というものを技術の中心に置いている(置いていた)からです。

▼社会福祉士及び介護福祉士法には、「社会福祉士の定義」に関する規定があるはずです。第何条かは忘れましたが(たぶん2条か3条あたりです)、調べてみてくださいませ。「相談」の文字があるはずです。

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▼ソーシャルワークの実践理論は、かつて、精神医学や臨床心理学でいう精神分析療法をモデルにしていた時期があります。しかし、利用者個人に対して治療的な介入をしても、結局は福祉課題や社会問題は解決しないということになりまして、治療という意味での相談とは訣別したのです。

▼なるほどその通りで、介護や保育、経済的困窮をはじめ、たいていの福祉課題は、個人に対する治療的な相談だけで解決できるとは思えません。

▼ちなみに、精神医学や臨床心理学でいう心理療法は、基本的には個人の内面に介入する技術です。そして、ソーシャルワーク実践は(現在では)個人と環境の交互作用面に介入する技術です。

▼ソーシャルワークと精神分析療法との関係は深掘りしてみたいところですが、それはまたいずれ別の機会に・・・😎😎

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▼このような経緯がありまして、現代のソーシャルワーク実践理論でいう「相談」は、治療という意味ではなくて、傾聴や共感などによって利用者さんの状態や感情を「聴くための相談」という意味で使われています。

▼しかし、「聴くための相談」もまた、利用者さんの生活課題を解決するわけではありません。その結果、現代のソーシャルワーク実践理論は、見立て(≒アセスメント)の機能だけが異常に発達しています。利用者さんの状態をくわしく聴いて、ニーズを分析・確定する機能だけがどんどん肥大化していったのです。

▼1990年代に輸入されたケアマネジメントという実践理論は、それまでの実践理論でいう「相談」に限界があるということを知ってか知らずか、「相談」を実践理論の中心に置かず(もちろん、アセスメントのための相談はします)、具体的な解決手段を持っているほかの機関や専門職と「つなぐ」ことを重視しています。たとえば、訪問介護員や介護福祉士、看護師、薬剤師、医師、PTやOTなどの専門職は具体的な解決手段を持っていますので、そっちにまかせたほうがよいという考え方なのでしょう。

▼しかし、ソーシャルワーク実践理論のすべてが実体概念として無効かといえば、そうではありません。ソーシャルワークでは、どうしてもミクロ領域のケースワークだけが注目されて、ほかの実践理論は脇に追いやられている感がありますが、メゾ領域のグループワークは具体的な効果をあげていますし、コミュニティワークもまた、実践理論は現実離れしていますが、取り組んで結果に繋げるソーシャルワーカーさんが数多くおられます。

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▼実践理論だけでなく、制度もまた実体概念に含まれます。

▼社会福祉関係の制度は、まず、障害者基本法や認知症基本法などの「基本法」という法律を作って、それぞれの領域の施策は「こうすべき」ですよ、「ああすべき」ですよという方向性を出します。ですので、「基本法」は目的概念になります。で、その基本法の指針にのっとって、実体概念となる具体的な制度を作るという段取りを踏みます。

▼ところが、ほんらいは実体概念であるはずの具体的な制度が、最近は目的概念化しているのです。単純な制度批判をすること自体が「べき論」で、しかも誰にでも言えてしまいますので批判は最小限にとどめますが、地域包括ケア社会的包摂地域共生社会という、目的概念としてのグランドデザインが多すぎて、政治家も厚生労働官僚も有識者も、具体的にどこから手をつけたらよいのかがわからなくなっていて、現実離れした法制度をひたすら乱発しているようです。

▼いまが非常に悪い時代ですので、今後しばらくは新たな制度ができても、まともに機能しないかもしれません、残念ですが😰😰😰

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▼さいごに、私の友人の何人かは、地域福祉推進に取り組んでいます。学問的にはコミュニティワークになるのでしょうが、彼らはそんな分類など気にしていませんし、目的概念と実体概念の違いなんかどうでもよくて、とにかく考える前に動きます。おそらく、学問のような悠長なことを言っている場合ではないのでしょう。実践理論は必要であるとして、専門職の直感的な行動や試行錯誤によって生み出されるものにも、学ぶべき点が宝箱のごとくたくさんある気がします😌😌😌

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