オーラの素顔 美輪明宏/豊田正義(約3000文字)




2020年アルコール依存症専門病棟入院中に読んだ本。
読んだきっかけは、病棟の本棚にあったから。

美輪明宏さんについては、10代の頃から古本屋・図書館で著書を可能な限り読み漁っていた。
なので、その考え方や生き方、美意識や美学にとても影響を受けている。

10代の頃に影響を受けたものは、もうそろそろ10年近くその思考と共に生きてきていることになるので、どのタイミングで何故、どういう感銘を受けたのかの言語化が難しかったりする。

もう、無意識なまでに血肉としてしっかり馴染んでいるので、そのソースすら曖昧だったりする。

ただ、20代前半…大学生のうちには、美輪明宏さんの著書を読むのをやめた。
とあるきっかけがあって、著書を読むこともメディア出演をチェックするのも一切やめた。

それでも、影響を受けた考え方は、簡単に脳から消去することなど叶うはずもなく、その頃読んだ美輪明宏さんの思考が流れ込んだまま生きてきている。

病院で、美輪明宏さんに関連する本が他にもあり、病院関係者がファンなのかな?と思ったりもしたのだけれど、懐かしさと他に読みたい本がないという2つの理由でこの度読んでみた。

こちらの本は、ノンフィクションの評伝としての著書で第三者の視点から書かれている。

(著者の豊田正義さんの他の著書も気になる。最近ルポタージュやノンフィクションものが好き)

10代の頃に読んでいる可能性もあるけど、既視感は感じなかったので読んでいたとしてもあまり内容は覚えていなかった。

どちらかというと、美輪明宏さんに対するおさらい、という感じで読むことができた。「紫の履歴書」等、本人が書いた自伝も当時読んでいたし。

今回、今の私にとって印象的だった部分をひとつ取り上げるとすれば、
三島由紀夫さんとの関わりに関しての項目で、
三島由紀夫さんの「肉体至上主義」について。

三島由紀夫さんの著書は読んだことがない。
興味はあるし、エピソード等を聞き齧っても興味深い人物像だと思うし、
教養として嗜んでいたら良いのだろうなぁ、と思うのだけれど、
読む機会がなかった。

私は、コンプレックスが強い人物に興味を惹かれるのだろうなぁと思う。
その意味で言えば、美輪明宏さんよりも三島由紀夫さんの方が強く痛々しいコンプレックスが滲んでいて共感が強い。

美輪明宏さんは、肉体的な美に関しては最初から天性のものとして持っていたイメージが強い。

勿論、それを芸術の域にまで高めたセンスや教養や美学は後天的に、本人が圧倒的な努力と行動で身につけたものだとは思うけれど、何か強烈なコンプレックス感を感じさせることはない。

会ったことも話したこともない、いち読者としての印象、主観でしかないから実際はわからないけれども。

三島由紀夫さんがボディビルで肉体改造に大成功した後、
「劣等感は治って、今では全快に近い」と堂々と断言しているのも微笑ましいし好ましい。可愛げを感じる。

コンプレックス感が強くかつ、それを前向きに克服している姿、克服した姿が好きなのかもしれない。希望や勇気を貰える。

コンプレックス感が強くても、「どうせ俺なんてモード」に入って腐っている人には興味が湧かないどころか、腐臭が移りそうなので近寄りたくないな、と思ってしまうし。

「大切なのは精神より肉体だ」と繰り返す三島由紀夫さんに、美輪明宏さんが「そうは思いません。人間は心です。精神ですよ」と反発した時の、切り返しが印象的だった。

「君と僕は同じくらいの審美眼を持っている。君は鏡に自分を映した時に自分の審美眼で許されるものが映し出されるけど、僕はそうじゃない。しかもそれと毎朝、毎朝、歯磨きする時に対面しなきゃいけない。それを一生引きずっていかなければならない人間の気持ちが、君にはわかるか」

そうなんだよね。
精神がどうとか中身がどうとかの前に、
自分自身が自分の望む姿からかけ離れた姿でいることは耐え難いストレスなんだ。。。

最低限、自分で自分を許せる容姿を手に入れて初めて、精神や中身の話ができる。

その意味では、三島由紀夫さんの言葉の方が、真髄をついていると思った。
とても共感した。

付け加えるなら、毎朝どころか、トイレに行くたびに、街を歩けばショウウィンドウに写るたびに、化粧を直すたびに対峙する容姿が、
自らの望むものでない場合の精神の苦痛は、半端ないよ。。。

現在のルッキズムが最高潮に達しているこの社会では特に。

あと、精神と肉体を分けて考える考え方も私はあまり支持していなくて、
肉体を望む形に作り上げたり磨き上げるのは、とても精神力の要ること。

精神力がなくて、容姿だけ優れていることもあるのかもしれないけれど、あったとしても稀なことで一般的ではないと思っている。
また、あったとしても短期間のことで持続可能な美ではないと思う。

(精神力がないふりをして、裏で精神力を発揮して容姿を保ったり磨き上げている人は、一定数いる。)

優れた容姿を手に入れるためには、
まず初めに自律心が必須だし、自分の望む容姿になるには何が必要でどういうプロセスを踏めば良いのか、道筋立てて論理的に思考する賢さが必要。

もしその思考力がなかったり、あったとしても自分でやるのが苦手な場合は、お金を払ってイメージコンサルタントを雇えば良いだけだけれども、それにもお金が必要でお金を稼ぐにもある程度の精神力が必要。

(そのイメージコンサルタントを雇うにも、どの人材を雇うかというセンスが必要。)

(ちなみにセンスは、知識の量なので、大量の知識をインプットできるだけの行動力がないと身につかない。行動力は精神力がないと発揮できない。)

他には、勇気や忍耐力も必要。

筋トレなら筋肉痛に耐える強さが必要だし、場合によって美容整形をする場合も痛みに耐える強さや万が一のリスクも想定した上で実行する腹を括る強さが必要。

こういうの全部、精神の強さが必要だと思うから、
容姿が優れていることと精神や人間の中身というのは、対立する概念ではないし、お互いがお互いを支え合ってその人の人格を形成していると思う。

三島由紀夫さんと美輪明宏さんのやりとりに関しては、
あまりにも身体改造大成功して浮かれて喜んでいるのが可愛くて、
ちょっといじってみた感じか、もしくは普段から憎まれ口を叩き合うような仲だったみたいだからわざと反発してみただけなのかなぁ、とも思ったりするけれど。

いずれにしろ、この本のレビューを書いたおかげで、
自分の中の、「容姿と精神について」の考え方がとても整理できたので有意義なレビュー執筆になった。

そんな機会を与えてくれたこの本に感謝だ。

今回の入院では、身体醜形恐怖障がい、俗に醜形恐怖と呼ばれている障がいについても今一度考える機会を持てた。
何故アルコール依存症になったのか、何故依存するような飲み方をせざるを得なくなったのか、紐解いていったときに、
アルコールに耽溺することを覚えるより前に、身体醜形恐怖障がいの苦しみがあったことに気付けた。

身体醜形恐怖障がいのことを今一度調べ直した時に、薬物依存や摂食障がいを併発しやすいということを知り、かなりステロタイプな経過を辿っていたんだなぁ、と気付けたし。

17歳の時に、埋没二重法をしたときに身体醜形恐怖障がいの概念を知ったのでそこからちょうど一周した感じ。
セオリー通り、薬物依存(アルコール依存症)になり過食嘔吐も覚えた。

そんなこともあり、入院中には依存症のこと考えるのと同じくらい
容姿に関すること…具体的には、容姿が精神や人生や人間関係に及ぼす影響に思いを巡らせた。

そんな中で、容姿に対する考えを深めることができた本に出会えたのはとても良い出会いだった。

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