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模範解答になんてなれない

世の中にはたくさんの「例」が存在する。

その例のなかからピックアップされたいくつかのものが「模範解答」として提示される。模範は模範だし、例は例でしかないはずなのに、それが「正しい」ものに変わってしまったのはいつからだろうか。


国語が好きだったあのとき

理系科目ができない。でも理系科目の方が好きだ。大体の場合正しい答えが決まっているから、やり方さえ分かれば考えなくていいし、そこに感情や自分の経験を加味する必要が無い。

対して文系科目はどうだろう。中学校か高校か定かではないが、「主人公のこの時の気持ちが現れている一文を書きぬきなさい」という問題で先生と揉めたことがある。確か「悲しい」を表す比喩を探す問題だったのだが、解答として出されていたものよりも私の心に悲しさが伝わってきた一文があって、指定された箇所とは全く違う場所から一文を持ってきた。根拠があってそう思っていたし、そのような表現を他の本でもみたことがあったから、私はそれに納得ができなくて、点数が欲しいというよりもどうしてそれがそうなるのかについて疑問を投げかけた思い出がある。

結局点数はもらえなかったし、私の考えは先生には伝わらなくて、もともと好きじゃなかった学校の勉強の画一的な考え方がより嫌いになった苦い思い出がある。それまでは国語が1番好きな科目だったけど、それがあってから国語が好きだということは無くなった。

袋に入りきらなかったもの

パッケージ化されたものは扱いやすい。

法律や条例など、ルールと呼ばれるものは「こう決まっているものだから」と言ってしまえば簡単に他者を統制できる。そしてこのルールを行使する側はルールが設置されている理由を理解し、伝えられる人でなくてはならない。理由の伴わないルールはもはやルールではなくワガママであり独裁だ。ある一部の人のやりやすさのためにルールでパッケージ化し、同じ思想を持つ人たちを作り上げることは、ナチス・ドイツ時代のヒトラーを思わせる。

野菜や果物も、人間が決めたある一定のルールに沿って袋や箱に詰められて出荷されるが、そのルールに見合わなかったらどうなるのか。大体の場合が捨てられ、肥料になるだろう。

人も同じなのではないか。
ルールに従えない人たちに人権なんてなくて、どんなにそこまで頑張ってきて労力を割いてきたとしても、捨てられ、踏みにじられ、道具に成り下がる。そうあることを強いられる。

ルールやある一定の意識の中に収まりきらなかった「袋に入りきれない人たち」の声はルールを定める側には届かない場合がほとんどだ。


カラフルな中に黒や茶色は必要無い

多様性の象徴には、よく色が用いられる。
人の性格も色で表されることが多い。

「燃えるような赤」
「海や空のような青」
「森のようなみどり」
「キラキラの黄色」

多くの人が指すカラフルの中に、きっと茶色や黒やグレーみたいな「濁った色」は含まれない。カラフルと謳いながら、その本質はそのカラフルを定める側が決めた"見栄えのいい私たちの好きな色"なのだ。私がどんなに黒が好きで、黒が素敵な色で、黒の魅力を伝えたとしても、その人たちが黒を良いと思ってくれなければ、そのカラフルの中に私が入ることはできない。


なんのために生まれて、何をして活きるのか、答えられないなんてそんなのは嫌だ

ただこういうことを言うと、
「そんなことをしていたら犯罪が許されてしまう」
「黒に対してアレルギー反応を示す人がいたらどうするんだ!」
みたいな極端な意見を投げつけてくる人がいるけれど、それは言葉の通り"見当違い"。

まずもちろん他人に損害をもたらすものはルールで制する必要がある。人殺すなとか、人の物盗むなとか、なんかそういうやつ。気持ちで許されてはいけないことも、世の中には一定数存在する。

すごくありきたりなことを書くので私のエッジを求めている人はもしかしたらここで読むのをやめてしまうかもしれないが、結局1番必要なものは「歩み寄り」と「柔軟性」。ルールを守らせるためにルールを行使するのは。誰のことも救わない。

ルールって書きすぎて鬱になりそうだがルールなんて所詮ルールだ。人が決めたものなんだから絶対は無い。どれだけリスクヘッジできるかの話であって、そのルールを行使した結果死ぬ人がいるリスクも、行使する側は考えなければならない。ルールを作る権利を持つなら、ルールを守らせる立場が持つべき責任やそのルールが持つ微弱性を理解しなければ、ルールを決める・守らせるだけの人間なんて神様かなんかじゃないとできない。

上司だって人だし、社長だって人だし、なんなら私も人だし、みんな人でしかない。

逆に、みんな人だということがまだ救いだ。
話して、歩み寄って、妥協点を見つけるという術がある。その術を存分に使って生きた方が人生チートして生きれるし、何よりお互い話し合いの過程がストレスフルだったとしてもその先の心の負担は十分に軽減できる。


守るべきはルールじゃなくて大切な人

誰かの大切なものが誰かの大切なものをぶち壊すことほど悲しいものはない。そしてどちらかの大切なものがルールになってしまっているんだったらそれはなおのこと悲しいことだ。

根拠のないよく分からんルールで人を統制して正義をまかり通しているふりをしている人間をたまに見かけるが、総じてつまらなそうである。本気の人間と躍起になっている人間はまったく別。本気の人はかっこいいけど、躍起になっている人は根拠がないと何に執着しているのか人に理解されることはない。理解して欲しいなら説明をし合わなきゃいけないし、それが歩み寄りであり、それを繰り返すことで柔軟性がつく。

軸は固く、頭は柔らかく
広い視野を持ちましょうとか、どんな経験をしてきましたとか、それも大事だけど、考えるべきは今必要としているものを見極めることだから。

世の中には意外と、当事者以外が傷付けられるケースが多い。もしくは、当事者が失われてその遺族がやりきれない思いを嘆き、泣き、ぶつける。でもそのぶつける先にとっては言われているだけでなんにも痛くない。みたいな。

そういうニュースを見た多くの人は言う。

「かわいそう」

かわいそう、の本質は、テレビの奥だけじゃなくて結構いろんな人の周りに普通にあることなのかもしれないですね。

暴行事件を隠蔽されているNGT48の山口真帆さんが昨日卒業コンサートを終えたようで、その中で披露された欅坂46の「黒い羊」の歌詞がやたら響くので文末にペタリしておきます(抜粋・全文はこちら)。黒い羊が死なずに済む社会がいつかできればいいな。




黒い羊

そうだ 僕だけがいなくなればいいんだ
そうすれば 止まってた針は動き出すんだろう?
全員が納得するそんな答えなんかあるものか
反対が僕だけならいっそ無視すればいいんだ
みんなから説得される方が居心地悪くなる
目配せしている仲間には
僕は厄介者でしかない

真っ白な群れに悪目立ちしてる
自分だけが真っ黒な羊
と言ったって同じ色に染まりたくないんだ
スマホには愛のない過去だけが残ってる
人間関係の答え合わせなんか僕には出来ないし
そこにいなければよかったと後悔する

人生の大半は思うようにはいかない
納得できないことばかりだし
諦めろと諭されてたけど
それならやっぱ納得なんかしないまま
その度に何度も唾を吐いて
噛みついちゃいけませんか?

白い羊なんて僕は絶対になりたくないんだ
そうなった瞬間に
僕は僕じゃなくなってしまうよ
まわりと違うそのことで誰かに迷惑かけたか?
髪の毛を染めろと言う大人は
何が気に入らない?
反逆の象徴になるとでも思っているのか?
自分の色とは違うそれだけで厄介者か?

自らの真実を捨て白い羊のふりをする者よ
黒い羊を見つけ 指を差して笑うのか?
それなら僕はいつだって
それでも僕はいつだって
ここで悪目立ちしてよう


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