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小説

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#オリジナル小説

追いつかない女

 英美里は足が速い。

 特に陸上競技をやっていたわけでもない。そういった選手と較べれば当然負けるのだが、その無気力な見た目よりもずっと速い。とても追いつけない。気づけば距離を離されている。

 シーツの中に身体が沈んでは浮き上がる。息をついては吸う。終わりが近いようで遠い。このままでいたいような、早く解放されたいような。もういい、と思いながらももう、ずっとこの緩やかな退屈さの中にいたい、ような。

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ある日記 1

 いつものことながら空は紫色だった。そしてどこか甘い匂いがする。空から匂いを感じるなんておかしいと我ながら思うけれど、空からは匂いがする。土の匂いがするように、空の匂いがする。胡椒のようにスパイシーに香る日もあればナッツのように香ばしい日もある。そう言うとコーヒーにうるさい人みたいだねと笑われたが、今日はザラメのような甘い匂いだ。綿菓子でも作れそうだ。
 子供のころからこうだった訳じゃない。ある日

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連作短編 メタフィジカ・ワンダー

 『マグマのマ・魔導の魔』

 その灰色の石を覗くと、中で炎が煌めいているのが見えた。炎と言うよりマグマにも似る。薄明るく煌めいて眠るように闇になり、また目覚めるように閃き出す。 
 私がその炎が閉じ込められた石を買ったのは、ある天気のいい昼下がりのことだった。
 表は気持ちのいい陽気だというのに、その店は黴臭く湿っていた。照明が点いていても薄暗い。陰気な店には陰気な物しか無いものだが、その店は陰

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