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ムスリムの友人たちに

ああ、またかとため息をつきたくなります。
アフガニスタンで気温がマイナス30℃に達し、死者が続出しているというニュースです。ただでさえ大変な国に、なぜこのようなことが続くのか、誰かに聞きたい気分です。

なぜってこの国についての良い報せは、ここ数年まるで耳にしません。
つい数日前も、“タリバンが女性の大学受験を禁止した”という報道がありました。
いまアフガニスタンで生きる困難とはどういうものか、特に女性たちの境遇に至っては、想像すらうまくできません。


それでも私がアフガニスタンのニュースを追ってしまうのは、これまでに観たドキュメンタリーや読んだ本、そしてムスリム(イスラム教徒)の友人たちの存在が一因です。

私が日本語教師のボランティアで出会う外国人は、人種や国籍、年齢もさまざまです。
信仰を持つ人も、そうでない人もいて、なかでもムスリムは意外に多く、トルコモロッコモルディブ出身者の他、最も多いのはインドネシアの人たちでしょう。

その人たちと身近に接し、個人的にも友人づき合いをしている私は、彼・彼女らから狂信的な印象を受けたことは、ただの一度としてありません。みなクルアーン(コーラン)を読み、モスク通いや日々の礼拝を欠かさない敬虔なムスリムですが、人間的にこの人たちのことを理解できない、親しめない、と思ったこともありません。

だからこそ同じムスリムの国で、困難な状況にあるアフガニスタンの人たちのことがとても気にかかるのです。
私がよく知るこの人たちと、あの人たちは同じ神様を信じている。なのに、なぜこうも違った運命を生きなければならないのかと。


「もし中東に住むことになったらどうする?」
インドネシアから来日中の、若い男性に聞いてみたことがあります。
彼は即座に一笑しました。
「ええー、無理」
「どうして?なじめなさそう?」
「あのへんはあんまり厳しすぎるから。インドネシア人には絶対に無理。しんどいよ」

さもありなん、という気もします。
彼も根はとても真面目ながら、音楽とかわいい女性がとにかく大好き。インドネシア語、日本語、英語の3カ国語のギター弾き語りの練習と、デート、勉強と仕事に忙しい日々を送っています。
外国のポップミュージックや未婚の男女の恋愛は禁忌の中東の国に住めば、相当厄介なことになるのは目に見えています。

ヒジャーブ(スカーフ)をかぶった女性は素敵だけれど、ブルカは顔が見えないから嫌。結婚前に二人で自由に出歩けないなんてあり得ない。気の強い女の子の方が好きだから、何でも男に従ってくれるのはつまらない。
彼は次々に恋愛に関する持論を上げ、笑わせてくれました。

ムスリムは一人一人が神との間で取り決めをし、その信仰の在りかたについて、他人が口を挟むべきではないといいます。
だから彼の考えや行為も非難されるものではないにせよ、もし中東のどこかで暮らすとすれば、周囲から咎められるのは確かです。


ムスリムであることは自分の支えであり、真の幸福を生きている、と私に語ってくれた女性もいます。
その人からは、ヒジャーブは自分にとって、誇らしさと強さを与えてくれるものだ、とも聞きました。

別の若いムスリム女性からも同じことを聞いた反面、来日以来、外出先でも髪を露わにしている女性もいます。
彼女の家族もその点については頓着せずで、同じ宗教を信じていても、個人の感性や人生観がまるで違うのはとても興味深く感じられます。
自らが在りかたを選択できる柔軟性が、どの国のどんな人にも保証されていればいいのにとも。

だからこそ、アフガニスタンという大国がこれからどんな方向に導かれ、宗教と思想と政治のバランスがどのように変化していくのかが、私にはとても気になるのです。

ごく私的な意見としては、個人の自由と信仰の両立は可能だと信じています。だからこそ、今よりも生き生きと幸福そうな女性や男性の姿を見たい気持ちでいっぱいです。


この文章に添えた写真は、約半世紀前のアフガニスタンの女性たちをとらえたものです。
その頃、金髪でミニスカートの女学生が闊歩するのは、街でありふれた光景だったといいます。
今の報道で見る、ムハッジャバ(目だけを露出する全身着)の女性たちとのあまりの差異に目を疑うほどですが、アフガニスタンがこのような歴史を持つ国であるということは、記憶しておくべきだという気がしてなりません。

اَلسَّلَامُ عَلَيْكُمْ وَرَحْمَةُ ٱللهِ
神による慈悲と平安がもたらされんことを。

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