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海の街に暮して、海を恋しくなるなんて。

時々窓の隙間から潮の匂いが運ばれてくる。

そんなに近い場所じゃないけど

海のある街で暮している。

いつだったか、数年前夏の終わりの海に

行った時。

あちらこちらで、ひかりが生まれている

ような。

そんな錯覚にとらわれながら、海を見ていた。

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あたらしい波がうまれる度に、その光とともに、

ひかる生き物の誕生に立ち会っているかの

ようで。

じぶんのりんかくがふわっと消えてゆく。

じゆうだなって感じる。

だれも所有せずだれにも所有されず。

ただそこにいること。

海って、訪れる度にじぶんが一度リセット

される気がする。

そして、海に行きたいって思う心って

何処から来るんだろうって思ったら

ある方から頂いたメールの言葉を

思いだした。

わたしが関西から今住んでいる海のある街に

引っ越して来たとき、

引っ越したら必ず連絡ちょうだいねって

仰っていた先輩にメールを送った。

海のある街に引っ越してきました って。

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その時にその方からの返信メールに

素敵な言葉が紹介されていた。

1000万年ぐらい前、太古の昔から人々は

海の中に住んでいて、陸地と海を行ったり

来たりしていたんだって。

その頃の太古の記憶を人類は覚えているから

夏になるとみんなその名残で、海水浴に

行きたくなるらしいよって。

なんか面白いよねその説と書かれていて。

どうぞ○○の海によろしくねってメールの

最後は結ばれていた。

引っ越して間もない時の記憶をたどると

その日彼からもらった海の話のことを

思い出してしまう。

へ~ってそうなんだって思ってその後、

何人かの仲のいい人に教えてあげた。

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今は近くに海があるとわかっていても

なかなか出かけられないからなおさら

海が恋しくなったりする。

近くにいるってわかっているのに

時空がゆがんで会えない人と人みたいだ。

この間、石牟礼道子さんの一句を知った。

<さくらさくわが不知火はひかり凪>

ひかり凪ってなんだろうって思っていたら

「まるで、一枚の光の布のように海がみえること」

らしく、とてもすてきだなって思った。

水俣の海への想いがこの一句に詠われている。

大切にしておきたい場所、人、出来事。

失ってしまったもの、

失いたくなかったもの。

同じ場所でみている海ではないけれど、

その句に描かれた世界観が、波を通じて

こちらまで伝わってくるような気が

してくる。

海はすべてひとつながりになっている

ことも思い出させてくれるそんな作品

だと思う。

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海ってさっきのさっきまで思い悩んでいたことも、

ちゃんと波がさらってゆくみたいでふしぎだ。

そうやって解放されてゆくうちにこれが、

じゆうってことなのかなって思う時間が

どこか心の穴をちゃんと修復してくれて

いるのかもしれない。

あの海のずっとずっと向こうへのつよい

憧れ。

彼があの時教えてくれた大昔の人間の

記憶がわたしのどこかにも宿っている

気がする。

窓辺から香る潮の匂いが夜になると

濃くなってゆく。

海によろしくねって、彼が言ってくれたあの

言葉がこんなにぴったりはまってしまう

今日この頃、そんな7月の終わりです。

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なみと波 りんかくせんが たちまち消える
うまれゆく ひかりがさらう つみとばつさえ 


いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊