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「俺だってわかんねぇんだよ」そう言える先輩に会ってみたかった。

今日は迷ってる。いつものことながら。

さっきまで、きりんのことを書いていた🦒

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でも、やめにした。それは書き崩しの箱の中に閉じ込めておくことにした。

選べないひとだ、ほんとうに。

結婚していたら大変だったろうなって思う。ありとあらゆる選択肢の前でいちいち悩むなんてうざいなって。

うざがられるんだろうなって。ファミレスのメニューだってそうだ。

いろいろ多すぎるよって思う。本気で思ってる。

あのメニューを選んでいたら? もっと違う人生が? とかは思わないけれど。とにかく迷う体質だ。父親の遺伝か?

そんなことはさておき。

きりん🦒ではない、違うことを書いてみようかなって。

背中について。いろんな意味での背中について。

一生懸命からだとこころをつかって、じぶん以外の人になるという訓練を
積み上げてきた人、役者さんたちのこと。

後輩と先輩役者として出会って。その背中を必死で追いかける人がいて。

そのふたりがどこかで、演じることを共にすることがあって。

まわりの評判もよかったはずだったのに、ふたを開けてみると、そうでもなかったね? みたいな感じに、なっていて。

肩透かしみたいで。

あんなに現場ではよかったじゃないですか! って、(ちょっと妄想入ってるけど)

その背中を追っかけていた人が、憧れていたその人に、

<芝居ってなんでしょうね>

って尋ねたら、その大きな背中の先輩役者さんが、ぽつりと言う。

<俺だって分かんねぇんだよ>って。

わたしはこのふたりのやりとりがたまらなく好きで、

いつも、ちょっと尊厳やられちゃったなってことに出会った時。

去年の2月の朝日新聞「一語一会」のインタビュー記事の言葉を
思い出す。

なにがいいのか、じぶんでもよくつかめていないのだけれど。

たぶん、ひとつは追いかけている背中を持っているその後輩役者さんの
スタンス
もすてきだし。

じぶんの思いを憧れの同じ道を進む先輩に告げられる、もしくは、ぶつ
けられるその関係性もいいな
って思う。

そして、問われた先輩役者さんが何かをすらすらと、とうとうと。

それはさぁ、こういうもんだよと示唆するのではなくて。

ちゃんと、わからないことはわからないと答えるところになんか、しびれてしまう。

読むたびに痺れるから、ある一定の場所のわたしの神経はかなり磨滅しているかもしれない。

それは幸せな神経の消耗だ。

いつだったか、わたしが十代の頃から父親のように接してくださった方が、おなじように言っていたのを思い出す。

  <がんばってさ、俺なりに追いついたと思うんだよね、Yさんに。
  でもさ、追いついたと思った時は、もうYさんの背中は、ずっと
  遠くにあってさ。いつまで経っても、その距離は埋まらないのよ>

仕事でもどんなことでも、憧れの誰かの背中を追えるって幸せだと思う。

背中を追っている人と背中を見せてる人って。

それは、悩みを抱えている人と解決した人ではないんだなっていうこと。

たがいに今生きていて、ライブで、問いがたえずじぶんの中にあって、

まだふたりともの次元は違うかもしれないけど。

道の途中にあることが、なんか生きてゆく道しるべのようでいいなって、
本気で思う。

わたしを遠くからでもいつも見ていてくれた父のようなあの人と、むかし
空港で待ち合わせした時。

その人が足早に掛けてゆくのが見えて、早く声をかけなきゃって思ったのに、なぜかその背中を見ているだけで、名前を呼べなかったことがあった。

ストライドの広さとまっすぐな視線と。

そのふたつが重なって。

待ち合わせ場所へと急いでくれていることへのうれしさと、これからの2人の行方と、なにかが微量に入り混じったような感覚で、声が出なくなった。

父親のように慕っていたその人に、その後あれこれと軽く口答えした時、

「どんな生き方であっても、これからもおまえは、歩いていくんだろう。
 ちゃんとお前のままを歩いていけ」

って言われたことがあった。

道を歩くという日常も含めて、広い意味での「歩く」だったと思うけど。

ちゃんと歩いてきたのかな? わたしはって、思う。

そしてこんな日記の終盤に来て、さっきなんできりんのことを書きたかったのか、今頃みえてきた🦒

きりんが砂漠を歩いているドキュメンタリーを見たので、その描写をつらつらしていた。

悠然と乾いた大地の上を水を求めて歩いていた。

朝になる前の霧深い場所まで、彼ら親子は生きるために、互い違いに並んで歩いてゆくことを、ひたすら描写しようとしていた。

そこで気が付いた。

歩くってことで今日はなんか書きたかったんだなって。

もう、背中で書いちゃったから。

キリンの話はずっと小箱の中で永遠に眠ってしまうことを思って、そういう日もあるねって思ったりした。

そしてあのきりんの背中を思いながら。

彼の言葉をそこに重ねる。

わたしはちゃんと歩いてきたのかな? って。

いまはあっちの世界に行ってしまったあの人といつか会える時に。

ちゃんと。

わたし歩いてきたよって言えるように、歩いてゆきたいと思っている。

今日の

#聞きながら書いてみた

     ♬GADOROさんの背中です!

     どうぞお聞きくださいませ♬


       地平線 追いかけてゆく 誰かの背中
      追いつけば 陽炎に似た あしたがそこに





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