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言葉ではない伝え方に、憧れがある。(#創作にドラマありの厳選記事集に入れてもらいました!)

いつだったか、ぼんやり映像を見ていた。

ソフィア・コッポラのデヴュー作。

20歳ぐらいのキュートな女の子ばかりが

でてくる。

わたしはキュートとは無縁できたけれど

キュートな彼女たちをみているのは

とても心地よくて、見入っていた。

いわゆるボーイミーツガール的な

物語であるけれど。

今そういうカテゴライズされることだって

ちょっと違和を感じることもあることは

否めないけれど。

リズボン家の美しい年子5人姉妹の話。


彼女たちの母親があんまり厳格すぎて姉妹を

家の中に閉じ込めて生活させている。

服もぱっとしないものばかり着せられて

だっさださで、外出も禁止させられて。

そんな暮らしが嫌で仕方ない。

誰だって家が牢獄みたいなのは嫌だよねって

ちょっと昔じぶんが家から逃げることばかり

計画を練っていた時も思い出しながら

共感しながらみていた。

そして、彼女たち姉妹5人は、部屋の窓から

外をみて向かいに住んでいる男の子たちに

助けを求める。

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ランプの灯りをちかちか点灯させて

サインを彼らに送るのだ。

父親や母親、家だけでなく、自分からも解放

されたくて。

必死に焦がれるように彼らにその想いを

光で知らせてみる。

ちかちかするランプの灯りを受け止めた

向かいに住んでいる男の子たちは、

閉じ込められた空間にいる彼女たちに

今の思いの丈を、伝えたくてレコードに

託して電話口で流す。

スマホもまだ生まれていない時代の物語。

それを受話器にみんなで耳寄せて曲に込め

られた思いを受け取った女の子たちは

ふたたび、じぶんの部屋にあるレコードの中

から彼らへの返事にみあった曲を探し出して、

針を落とす。

受話器を耳にあてているとメロディが

ふいに現れて、たちまち追いかけてくる

歌詞に姉妹の女の子たちは安堵したり。

束の間こころが穏やかになった表情を

彼女たち姉妹は互いの中にみつけて

確認し合う。

たったそれだけなのに、なんだかじぶんの中に

カチっとスイッチが入った気がした。

こんなふうに、想いを伝えあうシーンにはじめて

じゃないはずなのにはじめて出会ったような

気がした。

言葉だけで想いを伝えることもだいじだけれど、

言葉を含めたまわりのもやっとしたものまで

どうしても伝えたくなる時のもどかしさを

ひしひし感じながら、はは~んとしゃがみこみ

たくなっていた。

彼女たちはさいごまで女の子のままで、って

今書くとほんとうにどうしても違和感を

感じずにはいられないけれど。

あの時代は、女の子とみんなが言いたい時代

だったんだなって。

今日は、そこが言いたいのではなくて。

伝えることが言葉だけになっているじぶんの

ことを振り返る。

言葉以外の表現スタイルでなにかを伝えることに

憧れを抱いているじぶんに気づいて

しまった。

それも含めて言葉で伝えているのだけれど。

ことばはすきです。

すがってきたし、うらぎられてきたし、そむかれながらも

ことばと今も生きている。

これからも、この言葉以外のの表現スタイルに憧れを

越えた焦がれた想いはつづくのだと思う。

悩んではいないけれど。

わたしは言葉に翻弄されすぎているのかも

しれないって、そんなことをここ数日考えていたら、

昨日こんなお知らせを頂きました。

以前、わたしがnote主催の #読書の秋2020 で

ポプラ社の絵本『PING』

読書感想文で受賞させていただいた時の

ご報告記事を書いたことがありました。

この記事が #創作にドラマあり   の厳選記事集

お仲間に入れて頂くことになりました!

こちらを選んでいただいたことはほんとうに

うれしいです!

言葉で伝えるってなに? って考えていた矢先の

出来事でした。

あの時、すてきなコメントを贈ってくださった皆様

ありがとうございます!

言葉を伝えるのはむずかしいのに頂くと、

贈ってくださったその想いにいつも

痺れてしまうわたしです。

朝の夢 コピーしてくる 透けてる紙に
夕焼けに 感光します 記憶のように



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