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起承転結のない世界に、憧れて。

人の1日はみんな朝から始まる

わけじゃない。

夜勤明けで、朝方に家に帰りつく人も

いれば。

夕方から、仕事に出かけてまた深夜に

もどる人もいる。

一日が朝からはじまらない人もいることを

思うと。

はじまりがどこかにあって

終わりも必ずどこかにあるってわけじゃ

ないなって思ったりする。

好きな作家の人が言っていた。

「意味」から解き放たれたいって。

文章を書きながらも、そんなことを

思う、と。

彼の言葉を借りると

どうにも臍曲がりというのか、小説でも
映画でもコミックでも何かその世界の中の
環境のようなものが整い始めると、嫌気が
差してしまう。

●私の一冊 藤沢周「無意味の力」より。
㊟何の切り抜きなのか失念しました。

ちょっと同じ匂いを身勝手にも感じて

しまう。

そしてここにつながる言葉はこんな

感じだ。

たとえば、いよいよ主人公が登場してきそうな雰囲気だとか、何か事件がおきそうであるとかを感じると、「ああ、意味っぽい」と奇妙なことを思ってしまうのだ。

●私の一冊 藤沢周「無意味の力」より。
㊟やっぱりなにの雑誌の切り抜きか思いだせない。


どうしてこの文章を引用したくなったのかと

いうと。

この間、最終回を迎えたわたしが好きだった

ドラマの終わり方がちょっと面白かったから。

終わった後の○○ロスみたいなことを

想像してもみたけど。

実際この眼でみたらあまりに、

瞬間的に終わったので、面白いぐらいに

翻弄された。

終わり方というか、終わったの?

っていうあまりにも虚をつかれた

台詞と映像で終わっていたから。

潔いぐらいのエンディングだった。

こんなふうな感じ。

推理することのできるやわらかな頭脳を

持った主人公の目の前に数か月ぶりに

現れたとある人。

その人は、彼が密かに気になっていた

人物でもあるのだけど。

主人公の前に突然現れたその彼は自分の

妹が殺された事件の解決のヒントに

なっているかもしれない指輪をみせて

こういう。

「君の協力が必要なんだ。一緒に行こう」と

甘い罠のようにいざなう。

まだわたしはこの時油断していた。

ここからまた物語が展開するのだなと。

時計などみないで映像をみていたら

主人公のひょうひょうとした彼は、

目の前の彼の目をみながら、え? って

いう視線で訴えたまま

「どこへ?」と尋ねて唐突に画面は

クローズされた。

そこで最終話の幕は閉じられていた。

そしてたぶん、その直後次の番組へと突入

したのかCMに入った。

正直わたしの記憶はそこになかった。

終わりというものはいつも突然やって

くるものだ。

それは日常で経験済みだったけど。

ドラマではあまり知らなかった。

ひとりひっそりした春の部屋に

なーんなんってひとりうなった。

わたしが録画ミスをやらかしたと

思ったぐらいだったから。

つまり、起承転結通りドラマは

すすまなかった。

そして、ひとり取り残された部屋で

もういちど録画されたそのシーンを

みて、やっぱりあれでひとつの

最終回なのだと理解した。

終わった。

気がつくと終わっていた。

好きなドラマでも、あまりSNSなどで

情報収集することはないけれど。

親しい友人が、観た後にわたしと同じ

ようなリアクションだったひとは

多かったんだよと教えてくれた。

そして、わたしはいわゆる起承転結に

ついてもう一度考えたりしていた。

あの唐突に終わるドラマはなんなん

だろうかって。

がっかりしたとかじゃなくて、もっと

真逆の感情だった。

あれって、リアルだなって思った。

伏線の回収もされていないところも

あるし、ラスト10分前ぐらいに新しい

キャラの名前だけでてきて、

それは誰やねん状態になったけど。

わたしはあの終わり方、ピリオドの打ち方に

満足している。

あれは物語であって物語ではないんだと。

漫画原作のドラマ化だけど、そこは

マンガをなぞったものでも、ないらしい。

時系列にも沿っていなかったし。

だから似て非なるものを目指したのかなって

想いながらも。

わたしは主人公の大学生のありふれている

ようにみえるひとり部屋で過ごす時間の

日常が好きだった。

ありふれては、いないかもしれないけれど。

心に傷を受けると、身体を縮ませて

もう子供じゃないから

「ダンゴムシになっちゃだめだ」って

ひとりつぶやきながら、耐えているところ

とか。

市販のカレーがこよなく好きなところとか。

いただきますとごちそうさまは

ちゃんと小さい声でも新幹線の中で

あっても言いたいところとか。

そういうリアルな彼の日常の延長線上に

あの最終回があったのだと思う。

ドラマの終わり方を気持ちよく裏切って

くれた。

日々はまだ続いて行くよでもあるし。

リアルに生きていると、え? みたいな

出来事の終焉はかなりあると思う。

ここがおしまいですという日常って

ほとんどない。

今日もまたずるずると終わっていく日々。

今日のノルマをずるずるとこなしながら

仕方なく一日を終えてゆく。

残った仕事は、また明日しようと

心に決めて眠りにつく。

そういう意味であのドラマは起承転結の

結びがなかったことが、とてもリアル

だったことにいま、安堵してもいる。

これは、好きなドラマだったがゆえに

惚れた弱みかもしれないけれど。

せっかく好きになったドラマだから

嫌いになりたくなかったのも本音だ。

そう言う意味ではいいファンでは

ないかもしれないけれど。

自分の本来の起承転結の考え方に

とても似ていたので馴染んだのだ。

彼の最後の台詞、

「何処へ」。

今も人生というか日々を送りながら

しょっちゅうわたし「何処へ」行こうと

しているのだろうと思ったりするので。

やっぱり、整君あれはあれでとても

わたしは愛すべきおしまいのあり方だった

と思っているんです。

はじまりは というけれど それはほぼ
どこかの 途中に 過ぎないのだから

おわり。



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