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終わった恋の詩が教えてくれた、イタリア。

古いファイルを整理していたら、飛行機の

チケットとかにまぎれていろいろな場所に

折り目のついた1000リラ紙幣が

でてきたことがあった。

昔むかし、ほんとうに恥ずかしいけれど。

あるチョコレート会社が

「愛の詩を書きませんか」という募集を

していた。

うっかりそれに応募してみたら、

イタリア旅行のご褒美をもらったことが

あった。

今さっきその詩を読み返したら、びっくり

するぐらい赤面モノだったので、そっと

収納ケースの奥にしまっておいた。

10名のはじめましてのみなさんと

イタリアの中世の香り残る街を旅した。

アッシジやスポレート、ナルニ、テルニなど。

じつは出発当日の飛行機にトラブルがあって

わたしたちはなぜか有馬温泉に一泊する

はめになった。

もうそこから旅は始まっていたのか。

いきなり初対面の人たちと裸で温泉に

はいるという、もう笑わんとやっとれんな

みたいなアクシデントに見舞われた。

そのことがきっかけになってイタリアに

たどり着くまでに親しくなった方も

幾人かいた。

同室のかおりちゃん。

弁護士事務所の秘書さん。

飛行機を乗り継いで無事たどり着いた

イタリアの田舎町がナルニだった。

塔の街、沈黙の街と呼ばれる中世の街

そのものの姿がそこにあった。

聖マリア・デルアンジェリ教会



フローレンスの街並み


ナルニの田園風景

アッシジではサンフランチェスコ聖堂に

ひとめぼれした。

ここでわたしはずっと

ジョットの『小鳥への説教』のフレスコ画の

壁画をみていた。

サンフランチェスコ聖堂


みんなとはぐれてもいいから、この

「小鳥への説教」をずっと見上げていたかった。

自然と一体化して生きたフランチェスコは

とりわけ小鳥に愛着を抱いていたらしい。

作品「小鳥に説教する聖フランチェスコ」

は、彼が野原で地面にいた鳥たちに説教を

始めると、木に止まっていた鳥たちも

次々に舞い降りてきて聞き入ったという

著名なエピソードに基づくものだ。


小鳥の気分で、仰ぐ気分で。

須賀敦子さんの「祈りに憧れている」って

いう文章も思い出してしまうような気持ちに

似ていたのかもしれない。

厳かさと自然の豊かさがひとつの壁画の中に

あることへの畏怖のような想い。

祈ることの輪郭線が通っていたクリスチャン系

の学校時代のずっと外へ外へと伸びていって、

その時の思いはずっと

どこかにしまわれていたみたいに

アッシジにたどり着いた。

須賀敦子さんの<祈りに憧れて>という言葉。

はじめてそのことばに触れた時、どこか

はげしく甘美なものに聞こえたけれど。

今思うと、どこか遠く離れた場所へ

さまよい出てしまう覚悟のような

ものが絶えず存在していたのかも

しれない。

かすかに鳴っている聖歌とゆれる蝋燭。

司祭の後ろからさしているステンド

グラスのやわらかなひかり。

あの頃はたいせつなものになにも気が

ついて居なかったせいなのだと思う。

そして当時わたしは日本に帰りたく

なかったのだ。

婚約を破棄した後で破れかぶれだった。

父とも母とも絶縁状態だった。

だからなのか安い感傷なのかわから

ないけれど。

ここなら住んでもいいとさえ思っていた。

一日中小鳥と同じ目線で説教を聞いても

いいとさえ思っていた。

住みたい場所が、サンフランチェスコ聖堂

だなんて、ふざけんなって叱られそう

だけど。

むかしわたしはシスターをめざしたいと

思っていたいっときの熱病に似て心の

行き着く先を探していたのかもしれない。


民衆の感情を動かすように、聖人がそこにいるかのようにリアリティを持って壁画を描くことが求められました。

サンフランチェスコ聖堂のこの壁画の

キャプションそのままに思うつぼだ。

世界中を駆け巡っている病が流行って

いてイタリアにたくさんの感染者の方が

いらっしゃった頃、いつもあの日の

イタリアの街のことを思いだしていた。






イタリア語も勉強していないのに訪れた時、

あなたはよその国から来た人ねっていう

態度をとらないそういうウエルカムな

イタリアの方々の心遣いが気に入った。

イタリア語がわからないので、片言の

英語で話そうとしてもフランスとは

違ってゆっくりでいいのよと

応じてくれた。

直感的にわたしはここでみんなと

わかれてひとり日本に帰国せずに

ここに住まうという選択肢もあるんじゃ

ないかと夢想した。

イタリア在住の日本の添乗員の方にまで

相談したら、一度あたまを冷やしなって

姉御肌の彼女にハグされてなぐさめられた。

一週間という旅がわたしたちを

近づけていた。

あの時涙しそうになっていたら、

昔を思い出したって逆に添乗員の方が

泣いていた。

もう一度帰る前にひとりで

サンフランチェスコ聖堂に寄っていた。

やっぱり帰りたくなかったけど。

もう少し元気になったらいつかまた来ますと

心の中ですこしだけ祈っていた。

わたしの住みたい場所が今日も元気で

ありますように。





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