見出し画像

映画『ムーンライト』、みんなどしゃぶりすぎる!!

なにかに懸命になっているときは、ただただ走っているだけで。
なにもみえていないことにきづかされる。
で、昨日きづかされたわけだけれど。

みえてなかったのは、どうしてそれをしているのかってことで。
そこを、あたかも目的のように感じながらこなすことに力を
注ぎまくっていたじぶんに気づき。
その先がみえた。
目的じゃなくて、そこはたんにはじまりにすぎなかったことに。

他人の価値観。

どこかそこにフィットさせてみせることが、正しいことだと、
まぁアングルがずれていたのかもしれないし。
答えはでていないけれど。
昨夜、風に翻弄されている家の樹々の葉擦れを聴きながら、
一晩経ったらおちついてきた。

いつだったか映画『ムーンライト』で聞いた言葉。
大好きな役者、マハーシャラ・アリが演じるファンが、リトルと
仇名された男の子と出逢う。
そして縁あって、仲良くなったある日大人のファンは言う。

自分の道は自分で決めろよ。周りにきめさせるな

って。

新聞広告になったときから、あまりにかっこいい色刷りだったので、
とっておいて、しばらくは壁に沿わせて立てかけていた。
それを昨日の夜中引っ張りだしてきて、眺めてみる。

あの時は、まったく映画の中の台詞としてしか機能していなかった
言葉が、そっくりじぶんに返って来て、びっくりする。

あの日、いいなって思ったことばは、どこかじぶんのなかにも
巣食ってる事案だったことを、どこかで無意識に教えてくれようと
していたみたいに、すすすっとしみてゆく。

ことばでちょっと失敗したのに、ことばでまた励まされてるって。

こういう循環であしたがつくられてゆくんだなって。
そういうえば、リトルが言った台詞もすてきだった。

ちいさなからだに、大きすぎる荷物を背負わされていると感じている
彼が、夜の砂浜で特別な友達にいう台詞。

泣きすぎてじぶんが水滴になりそうだ

って。

はじめて字幕と彼の声で聴いた時のあの感情がいま、しゃがんだ
じぶんの膝のあたりでゆらめいている感じに、おそわれた。

てのひらにこぼれおちてる時間
泣きすぎた男の子たち雨を呑んでる





この記事が参加している募集

スキしてみて

いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊