「ずっと真夜中でいいよ」、そんな気持ちの時もある。
真夜中。
今日も真夜中がやってくる。
誰のもとにもやってくる。
そして、明日になったら二度と戻れない
ひとりひとりがすごす夜、それが
今夜の真夜中だ。
まよなかは、みんなに訪れるのにいまそのことが、
まるでラジオの声を耳にしている時のように、
じぶんだけに訪れている気持ちになる時がある。
今日起きたことが、どんなにたいへんなことで
あろうとも<たったそれだけの話>と思える瞬間
が、あればいい。
その言葉を書いたのは誰だったか忘れてしまった
けど。
ちゃんと忘れてゆくことができる時間を確保する
ことも、おとなだってこどもだって大事になのかも
しれない。
幼稚園の時、はじめて<線路は続くよどこまでも>を
知った。
その歌詞を聞いた時、まだまだ続くのかと思って
これからどこかへとつづいてゆくことに、ちょっと、
おびえたのかもしれないし。
団体行動がおそろしく苦手だったわたしは、その
どこまでもつづく線路にそってどこかへと逃げたく
なっていたのかもしれない。
この間もふいにどこかのお店のテレビCМから
その曲がながれてきたとき、ほんのり苦い思いが
甦っていた。
いまだに逃れることに、どこかあこがれを抱いて
いるけれど。
この間この歌詞はほんとうは、
<線路工事は続くよどこまでも>だって聞いて、
ちょっと膝カックンされた。
線路じしんであれ工事であれ、
続くよどこまでもであることには違いない。
そんな思いにかすかに手を差し伸べてくれて
いるのが真夜中という時間なのかもしれないと
思うことがある。
フィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』
これは主人公のトムよりも、真夜中じたいが主人公の
ように描かれている。
トムは弟が麻疹に罹ったので、おじさん夫婦の家に
預けられる。
とある夜、眠れなかったトムは、下の部屋に置いて
ある、おおきな時計の鐘の音を聞いていた。
その時、ちょうど12時だったはずなのに、それ
よりもひとつ多い13の鐘を打つ。
トムは勇気をだして下の階へ降りてゆくと、今まで
そこになかった庭が明るい光を射してそこにあった。
まるで呼吸をしている生き物のように時間が、
突き進む。
<闇は光が修復できないものを復活させる>
という言葉を昔、好きな人から教えてもらった
ことを思い出していた。
今年もあとわずか。ほんとになんなんだ今年は!
2020年は、予期しない出来事に世界中が翻弄された。
大なり小なりだれかが、どこかで傷ついていたと
思う。
今も傷ついているさなかのひとはたくさんいる。
あなただってわたしだって。
これからやってくる、まよなかが、あなたの
こころの傷をゆるやかに治癒してくれるもの
だったらいいなと、おぼろげに願いつつ。
まよなかの ラジオのように 耳がうなずく
くらやみが ひかりをだいて 問いかけるとき
いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊