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誰かと一緒にご飯が食べられなかった。そんな季節がありました。

誰かの目を見て、誰かと喋りながらご飯を食べることが
急にできなくなった。

そんな季節がわたしにもあった。

今も、すこしその名残はあるけれど。

たぶん、自意識過剰な。

大学を卒業して就職したころかもしれない。

同僚のスーコちゃんとは一緒にランチも行けた。

でも、打ち合わせとかで知らない人達と食事をしなければ

いけないときのあの苦痛は今も、やっぱり同じ状態に置かれたら

あれだけは勘弁してほしいと願うだろう。

ある日、通販商品のコピーを書くバイトをしていた時があった。

ひとりで、商品取材をもくもくと地味にこなすと。

ランチの時間がやってくる。

適当に行っていいということだったから。

社員食堂で食べていいからって言われたけれど。

それが、できない。

入り口まで行って引き返した。

でもお腹はすくから、デパ地下の赤い袋が目印のノーランの

サンドイッチを買って屋上に逃げた。

屋上は誰かと向かい合ってご飯を食べなくて済む場所だから。

ひとりで前を向いて潮風に吹かれながらベンチでサンドイッチを

食べた。

ツナサンドが思いのほか美味しかった。

こういう時、目の前に誰かがいたらそれを報告したりするんだろう

けど。

って思ってたら、チーフの東田さんが、もうあなたそこにいたの?

って探しに来た。

見つかってしまったって思って。

すぐにパンを口から外した。

喉の奥が詰まったみたいで、カフェラテで流し込む。

いいから食べててって言われたけれど。

できなくて。

ひとりさびしくノーランのサンドイッチなんか食べないでよって

その人は笑った。

さびしくないです、って言い返せなかった。

これがいいんですって言えなかった。

そして、翌日。

ランチの時間。

そんな予感は薄々したいたけれど。

東田さんがベンチにいた。いっしょに食べようって。

ベンチに座ってふたり腰掛けながら。

時々、わたしの横顔を気にしているのがわかった。

サンドイッチをつつんでいるセロファンのつなぎめを

ゆっくりはずしながら、息を整えた。

そんなわたしを見て東田さんは、調子悪いの?

って聞いてきた。

調子は悪くない。

ただ、誰かと一緒にごはんがたべられないだけだった。

その人がきらいなわけじゃない。

きらいになるほどよくその人を知らなくても。

誰かと一緒にご飯が食べられないのだ。

東田さんは、マウントとらない人だった。

正直そういう人に、はじめて会った。

でも、わたしは正直になれなかった。正直になろうとして、

喉から手が出るほど、東田さんに打ち明けたかったけど。

それでも、なぜか東田さんはわたしが仕事でお世話になった

7日間あまり、いつも屋上でわたしとランチを食べてくれた。

最終日あたりは、横を向いてなら東田さんとはご飯に行ける

かもしれないって感じだった。

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その後好きな人ができて、「飯に行こうよ」って誘われた。

誘われたことはうれしかったのに、「飯に行こうよ」のハードルは

かなり高くて。

でも、正直にその人には言った。

眼を見てご飯が食べられないって言ったら、すごいピュアなんだね

って笑われた。

ピュアって言葉、そういう時に使わないでほしいと念じながら、

その人は言った。

ご飯がだめなら、お茶でいいよって。

お茶。

お茶しにいったら、お茶系は飲めた。割とふつうに顔を見て

コーヒーが飲めた。ブルーベリーのケーキもなんとかぽつぽつ

食べられた。

ある種、その人と食事に行くことがリハビリのような感じに

なりながら。

横にその人が座りながら食事できるようになったのはいつ頃か

忘れてしまったけれど。

いつのまにか、横から向かい側にあの人が座って居酒屋にも

イタリアンにも行けるようになっていることに気づいた時、

わたしはあの日の東田さんのことを思い出していた。

昔、子供の頃に言われた、「どの面下げて飯食ってんだ」って

父親に言われた言葉が今もよぎることがあるけれど。

それが食べられない理由だったことにはしたくないし。

それ以上に、わたしは東田さんでありその頃の彼であり、

やさしくしてくれる人に出会ってきたことを、いまとなっては

ちょっとお礼も言えてないけれど、ありがとうの気持ちで

いっぱいになりながら。

そのことを、ふいに今日の夕食にお寿司を母と食べている時に

思い出していた。

      なにもかも 後ろ手にして 手繰り寄せてる
      夕暮れは
 みんな帰って かえってゆくんだね





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