見出し画像

おつかれさま、今日のことばたち。

今日は「ことばの日」だったって、さっき

知った。

朝の新聞を、周回遅れで読んでいたら

今日は5月18日だから、ことばの日

だよって書いてあった。

少し忘れたいのになっていう時もあって。

いつも仕事で向かい合っていて、

日常もSNSのテキストを読んでは

言葉にさらされている。

わたしはずっとなにかに迷い込むのが

すきだった。

人の中に街のなかに時間のなかに。

そして言葉のなかにも。

本棚のガラス戸のなかに言葉が待っていて。

ページを開いたときにしかそれは、なにも

言ってくれない。

本を読むという能動的なはたらきが

起きてはじめて、言葉が動き出す。

震えながら迷い込んだそれのなかに。

過去の痛みをなぞらえられて、いっそ

嫌いになりたかった言葉にもいくつも

出会った。

嫌いなワードがすこしだけ増えたけど。

でも、どこかそれ以外のわたしなぞ

考えられないぐらい、それを求めた。

そんな言葉に出会った時、わたしの

いまの読みほどく力で間に合っているのか

わからなくて、迷っていた。

そして、やがてそれはじぶんのなかに

馴染んでゆく。

嫌いはきらいなりに。

好きはすきなりに。

言葉を伝えたはずなのに、ちゃんと

伝わらない言葉もある。

まるで死んでしまったかのように。

わたしの伝え方が悪いのか

なんだろうか、尽くした言葉の

どれもが風にさらされて。

伝わらない、なにも届かない言葉に

なってゆく。

ありがとうも、さよならもいずれに

してもその意味を携えて届かなければ

ことばはことばとして不憫だと思う。

わたしの呼吸のような言葉が最近

伝わっていないことに気づいた。

それはわたしだけじゃないと思う。

きっとSNSのあちらこちらでそんな

齟齬を覚えたことばたちがゆきかって

いるに違いない。

曲解されたり、誤解されたり、

そうじゃないんだよって、言葉を発した

人間じゃなくて、ことばじしんがそう

叫んでるかもしれない。

狂おしくもなく、誰の胸にも響かない

言葉をまのあたりにして。

言葉は言葉の役目を終える。

生きたまま終わることば。

死んだまま終わる言葉。

でも、きょうは言葉の日だったのだから

ことばじしんが、ことばであってよかった

って思えるような、時間を過ごしていたら

いいのになって、ちょっと思う。

せっかくの言葉の日。

徒労の言葉をやりとりした人もいただろう。

わたしは、今日生きた言葉を夜、大好きな

人たちに放ったばかり。

ことばの日にその思いを届けられた

ことをとてもうれしく思っている。

今日、ことばの日がおわっても、

またあしたの

ことばもつづいてゆくね。

おつかれさま、今日のことばたち。




この記事が参加している募集

自己紹介

私の作品紹介

いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊