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絵本を初めて贈った、雨の午後。

人の気持ちって、なんだろうって思うのは、

そこにつまづいた時のほうが多いような

気がする。

わたしじゃないあなたが「生きて」きたの

だから、気持ちなんかぜんぶ、わかりっこ

ないし。

わかるはずもないのだけど。

そんなことを考えていたずっと前。

「ひとの気持ち」をテーマにした絵本に出会った。

帯には、どんぴしゃで

「気持ちについて考える絵本」と、題されていて。

わたしは、「気持ち」なんてそれぞれでしょって

いぶかしげにページをめくっていたけど。

夢中になってページをめくっていた。

そんな時は、じぶんが探したい何かのことの

解決法が、そこにあるかもしれないと探りたくて

しょうがない時かもしれない。

絵本って、はじまりのことばに心動くと、

磁石でゼムクリップをつなげるみたいに次の

ページへと誘われる。

この絵本では、

ねぇ、いきるってさ…

で、はじまる。

子供も読む絵本で、生きるってさって言われたら

ちょっとぽかんとしてしまうけど。

子供だって、日々いろいろなことに悩みながら

生きているわけで。

この冒頭はとても、健やかに正しいと思う。

そして次につながることばは。

ぼくらは、ピンって、するだけ。

だった。

いきるってさ、と、ピンってなんだろう? って

思っていたらそのページの絵はピンポンする

赤い頬の可愛いキャラの子が描かれてる。

ピンのピンは、ピンポンのピンのことで。

ポンって受けるんだろうなって思っていたら

ポンっと するのは あのこしだい

って、ちょっと膝カックンされたみたいにかわされた。

ピンとポンは、ふたつでひとつだけど。

ピンと、自分のこころを投げたらあとはじっと

待つだけでいい。

ピンする誰かのことをかけがえなく思って

ピンすればいいのか!

絵本のページをめくりながらそんなことを

思っていた。

そして、こころを伝えるって、言葉だけじゃ

ないってことも時にはあるし。

こころの形は、想いにならない想いのときも

たくさんあったりする。

ピンすることに焦らなくてもいいし、

ポンも思いのままでいい。

ぽんが返ってくることだけをひたすら

望まなくていい。

noteに来た頃わたしは、今よりもたえず心の

ことを気にしながら暮らしていた。

この絵本のピンポンのしろい球をじぶんの心だと

思い描いてみると。

たぶん、あの時って。

投げられることさえなくなってしまった白球が

卓球台の緑色の台の上にぽつっと転がっていた

そんな感じだったのかもしれない。

わたしがピンってことばを投げたら

いつも誰かがポンって、やさしい言葉と共に

返してくれる。ひとって、ほんとうにピンとポンで

日々成り立っているんだなって気づいた。

この絵本は、声にできなかったありがとうが

つまってる。

言えなかったありがとうが、ピンちゃんと

ポンちゃんの姿になって伝えようとして

くれている。

この本に出会った2020年、ひそかに誰かにこの

本を贈りたいなって思っていた。

あったこともない人。

顔も知らないし、

本名も知らないけれど。

わたしのピンにいつも答えてくれるすてきな人たち。

そう、いつかあの人に

アニ・カスティロさん絵本『PING ピン!』

贈る日をゆめみてる。

そんなふうに、noteの記事にも書いた。

そして、今日。

彼女にこの本をあげた。

窓ガラスには雨粒がくっついたり離れたりして

いる、いつもの待ち合わせの喫茶店でこの本を

あげた。

自筆の手紙も青いペンで書いてみた。

この絵本を仕事部屋で眺めるたびに、これはいつか

もらわれていくのだろうと、ぼんやり思っていた。

仕事するときパソコンの横に置いてnoteの

記事を書いていた。

いつかはいつなんだろうって思っていたら。

ふいにやってきた。

今度会う時は、絵本をテーマにして会おうって

ことになっていたので。

これ、あげちゃおうって思った。

自分がnoteに誰かにあげてみたいって書いた

約束を守ってみたくなったのだ。

パソコンの隣にはこの本はいないけど。

彼女の部屋のどこかにもらわれていったと

思うと、うれしい。

本を手放してうれしいってあまりないこと

だけど。

そっちで、ピンとかポンが機嫌よさそうに

跳ねているといいなって思ってる。

いや、跳ねてなくてもいい。

ピンだけがはしゃいでいても

ポンだけがぽつんとしていても、

それぞれのリズムで生きていたらいいなって。

∞∞ちゃん、もらってくれてありがとう!


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