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どしゃぶりみたいな恋をしたかった。

雨の日に傘を持って歩くのはあまり

好きじゃない。

午後から梅雨の晴れ間になったら

邪魔になるなって思いながら。

雨の日の外出はみんなきらいな人が

多いから雨の日を少しでも楽しくする為に

傘の柄ってあんなにカラフルだったり

するのかなって思ったりする。


傘の上を雨音が滑って落ちてゆく。

一瞬、強い雨脚はその傘の表面でふいに

跳ね返りながら何処かへと着地して、

名もない場所へとかえってゆく。

この間、梅雨入りしたばかり気象予報士が

口々に朝は晴れていても午後は雨が降りますって

言うので、傘を持って歩くことにした。

傘を持って行こうとした時、いっしょに隣に

立っている傘立ての中の真っ黒の傘に気づいた。

なんの変哲もないまっくろい蝙蝠傘って

呼ばれるタイプの傘だ。

年の離れたお兄さんみたいな、大好きだった人が

むかしむかしに、くれた傘。

突然の雨が降ったある日、彼はその傘をじぶんは

いいから、持ってったいったらって、わたしに

差し出してくれた。

京都の駅までの帰り道、彼と傘の中で他愛のない

話をした。

雨脚がつよくなってとある場所で雨宿りしたりして。

彼は昔俳優座の研究生だったこともあって、大阪で

育ったわたしは六本木と言う場所もまだ知らなかった

けれど。

その頃その人が俳優座に通っていた頃は、野っ原

だったんだよって教わった。

なにもなかったことが想像できないってすごいよねって。


わたしは、なかなか決まらない大学受験や父との

折り合いがずっと悪いこと。

この先やってみたいことが、からきしわからない

ことなど。

今日も明日もすべてが手探りだったので、その傘の

中でひたすら彼に問いかけながらも、その答えが

ずっとみつからないといいのにと、こころの

何処かで祈りながら一緒にいた。

話が途切れるのが怖くて、わたしはしゃべり続けた。

演劇と言えば、寺山修司みたいな話を聞きながら。

傘についての言葉があるよって教えてくれた。

蝙蝠傘は世界で一ばん小さな、二人のための屋根である

わたしには恋の感情がどういうものかわからなくて。

わかっていたかもしれないけれど、わかることが

こわかったのかもしれない。

雨がやまないでいてくれたらと、あの日想っていた

ことだけは今も思いだせる。

数十年経ったある日、彼が亡くなったことを

母から知らされた。

あの京都の夜がほんとうに、一期一会だったことに

気づいたけど、聞いた時は何も感じられなくて、

その日の夜、台所に立ってお茶碗洗っているときに

雨みたいに泣いた。

それから何日か経って。

ずっと返さずにいた傘を、青い傘立ての中からそっと

取り出した。

傘の内側のほねが少しぎくしゃくしている。

関節をつなぐようにして、ひとつになっている

ところが、少し緩んでいた。

昔あった柄のところの細い尖ったものがつけた

線みたいな傷も薄れていて、なんとなく

あの日感じた蝙蝠傘の重さまでが、少し軽く

なったような気がした。

傘が軽いだけなのに彼が軽くなってしまった

みたいでとても嫌だった。

そしてこの映画のことも思い出してしまった。


記憶は時に残酷だけど。

それでも彼の死をその蝙蝠傘の軽さと

共に受け止めようとしていた。

冬晴に恵まれたその日。

わたしはその傘を久しぶりに庭で干してみた。

京都の土砂降りのあの日から、しばらくその

傘からは雨の匂いが消えなかった。

どこかで雨の匂いに期待していた。

そっと傘のおもてに鼻を近づけてみた。

輪郭が瞬く間に消えてしまう雨粒をなんども

なんども受け止めていたその蝙蝠傘は、太陽を

たくさん吸い込んだ、ひなたの匂いだけがしていた。

雨の匂いは消えていた。

明るい場所がいつも好きだった。

仲間の人たちと笑っているのが好きだった彼。

それは、はてしない時間をまとった彼からの

束の間の贈り物のような香りだった。

なるべく笑って過ごせるといいねって

彼が言っていたその言葉を今日はとくに

思い出したくなっていた。



傘の上 したたる音が ちんもくやぶる 
猫に似ている 雨の名前を 思いだせなくて



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雨の日をたのしく

いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊